手話と出会った小料理店 一瞬の会話のために1時間かけ通うお客さんに価値を教えられる

 「手話って、なんかすごい会話手段なんだ」。初めて思い知った時があります。そう、思い知ったのです。JR中央線のある小料理店でした。学生時代から過ごした地域だったこともあって、今でも時々この界隈で飲み歩きます。馴染みの店もいくつか生まれ、気軽に好きな日本酒を飲んで酔っ払うのがいつものパターン。

手話ってすごいと知った時

 その日も5、6人も座れば満席になるカウンターで飲んでいました。お店の引き戸を開けて斜めの向かいに座った男性は、注文せずに黙ったまま。女将がサインのように指や手を動かすと、「ウッウッ」と聞こえるような声を出して手と指でサインを返します。「何やってんだろう」と思わず、視線が動きます。女将はわざとなのか、「それじゃお燗ね」と声を発して日本酒の一升瓶を振りかざし、お燗用のアルミ製「ちろり」に注ぎます。その男性はニコリと笑い返すだけで、何も発声しません。

 酒の肴を注文する時にようやく気づきました。その男性は耳が聞こえないことに。刺身とか煮込みなどと言葉で発することなく、メニューが書かれている黒板を見ながら、手を動かします。女将は慣れた様子で「カツオの刺身で良いのね」と答えます。常連さんなら、軽いおしゃべりが続くはずですが、その後は2人の間に会話のやり取りはありません。まったく動きを読み取れていませんが、あの手の動きは手話だったのか。古くからのお客さんなので簡単な相槌で意思疎通できるなのかと勘違いしていた自分がなんと情けないことか。

会話がないのは馴染みの客だからと勘違い

 それからも、偶然が重なってこの男性のお客さんとは何回かカウンターで一緒になります。2人のやりとりを興味深げに眺めていたからなのでしょう。女将が「これ、手話なのよ」と教えてくれました。男性もニコニコして、こちらを見ています。当時は全く手話の知識はありませんから呆然としていると、女将が「ちょっとだけ手話ができるの」と顎のあたりに親指と人差し指をYの字に開いて胸の方向へ下げました。「これ、なんかの意味があるんだろうなあ」と再び呆然。後日、手話講座に入って「好き」という表現だと知りました。

 普段あまり会話しない女将ですが、その男性客が帰った後、もう少し教えてくれました。「あのお客さんは千葉の方から時々、通ってくれているんですよ。耳が聞こえないろうの方なんだけど、手話でお酒を楽しめるからって、わざわざ1時間以上も電車に乗って訪ねていただいています」。JR中央線と総武線はつながっているとはいえ、仕事帰りに自宅とは逆方向へ向かい、ちょっとだけお酒を飲みそれから1時間以上もかけて帰宅する。とても大変です。でも、あの男性にとってはいつもと違った時間を過ごせ、明日へのエネルギーが再充電できるのでしょう。

 でも、信じられますか?手話の時間はわずか。それでもお客さんは訪れる価値を見出しているのです。

千葉から1時間かけて訪れる価値とは

 それでも正直、なぜ1時間以上もかけてお店に通うのかが不思議でした。そんな謎が解けたのは数年後に通い始めた手話講座の先生の言葉でした。「自分には無理と思わないで、耳が聞こえない人に手話で話しかけてみてくださいね」。初級クラスの頃から時折、先生が口にします。指文字もできず、簡単な自己紹介もおぼつかない時です。それでも、先生は繰り返します。「口話ができる人から手話で話しかけられるのって、耳が聞こえない人にはとてもうれしいのですよ」。

 例えが適切なのか迷いますが、言葉の通じない外国で日本語が通じた時、ほっとすると共に自分の世界が知らない世界と通じ合う瞬間を覚えます。手話でやりとりできるのは、手話ができる人同士。耳が聞こえない人の場合、手話を理解できない人に対して意思疎通は難しく、どうしても自分の周りが狭く感じるのかもしれません。

 わざわざ1時間以上もかけて小料理店を訪れて、手話を使ってお酒を飲んだり料理を注文したり。このわずか瞬間にとても価値がある。手話を学ばなければ、気づかなかった価値です。いつかあの男性とカウンター席で隣同士なったら、手話をしながら酔っ払う日が来ないかな。ひそかに楽しみにしています。

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