手話3年目の中間決算 自らのコミュニケーションの癖と欠点を知る
彫像の前で立ち止まってしまいました。カヌーの船底に立って大きなパドルで漕ぐ姿です。漕ぎ手はポリネシアの男性で、太平洋を航海する勇者です。数百年前のことですが、星座などで正確な地理を頼りに広大な太平洋を航海したそうです。彫刻から力強いエネルギーが発散しています。
そんなオーラを発する彫像の前で、なぜか手話の勉強が思い浮かびました。頑張っているんだけど、前進しない。年齢を理由にしたく無いけれど、記憶力がどうしようもなく低下している。記憶量に上限があり、新しい手話を覚えようとすると、以前に学んだ手話が上限に合わせてあふれて消えていくよう。俺のパドルは空を切っているのかも。そんな不安が拭えません。
手話を勉強し始めてから3年が過ぎようとしています。市が主催する無料講座で全くの初心者からスタート、初級、中級になんとか進級し、勉強しています。
新聞などメディアで情報発信する仕事を40年以上も携わっていたので、以前から手話によるコミュニケーションとはどんなものか興味がありました。手話の表現は指や手だけでなく唇、顔の表情、体などを使って伝え、その組み合わせは複雑で、失礼ながら「知恵の輪」を解く面白みを覚えます。
しかし、実際に学び始めると、自分が伝えたいことをどう表現すれば良いのかわからず、手も足も出ません。石川啄木の歌ではありませんが、じっと手を見つめてしまうぐらい悩みます。
今後も継続するためにも、手話の勉強に関する区切りとして中間決算をまとめることにしました。企業決算と違い、収支計算するわけではありませんが、自らの3年間近くを振り返ってみます。
まず企業の中間決算に例えれば、文句なく増収増益でしょうね。手話を勉強して損することは一つもありません。覚えれば覚えた分、表現力や発想力を刺激してくれます。ただ、忘れるのも早く、増収増益の伸び率は微々たるものです。これは手話のせいではありません。3年間で私より大幅に増収増益を果たしている人は多いと思います。
①相手に伝える努力を覚えた。
高校時代から相手に伝える姿勢が不足していることは自覚しています。正直、相手がわかってくれないならそれで良いと割り切っていました。手話の勉強は60歳過ぎてから。自分の性根を変えられるわけがないと開き直っていました。手話は口話と全く違い、手の動きだけじゃなく口や顔の表情が大事と強調されます。口先でごまかすなんてとてもできません。
ところが、最も求められたのが最も不足している伝える姿勢でした。講座の先生からいつも注意されます。「顔の表情がない」「唇が動いていない」・・・。耳の聞こえない人は、手や指だけじゃなく顔の表情、唇の変化で相手の伝えたいことを読み取っているのですから、もっと口を動かしいてください、と。手話の伝達力をパーセンテージの数字に例えれば、手や指の所作は30%、唇の動きが70%と説明する人もいるそうです。
唇を意識して話す。なかなかできないのです。頭の中は手や指の動きに集中しますから、唇まで神経が行き届きません。できない理由を並べてもしょうが無い。要は相手に自分が伝えたいことを表現したいと思う熱意が大事なのです。最も足りないモノを知る。中間決算としては大儲けです。
②言葉を解析する
普段、当たり前のように口と言葉を使って会話しています。言葉遣いなどは多少考えますが、言葉の並びなど配列に神経を使うことはほとんどありません。手話の勉強は英語と同じ。伝える言葉一つひとつを考えて選ぶ訓練が大事です。
手や指の所作のみならず顔の表情、唇の動きなど相手に伝わる表現を全て使いこなす。どう並べれば正確にこちらの思いが伝わるのか。もちろん、コミュニケーションする相手も同じ思いでこちらを見ているわけですから、こちらもその意味を読み取る努力と経験が必要です。
おもしろいことに言葉を考えるクセがつくと、なんと普段の口話でも同様に言葉選びするようになります。言葉を解析するって大げさな表現かなと思いましたが、言葉の価値を改めて考えるようになった気がしています。
③指、表情、唇の動きに神経を使う
手話は指や手の所作を組み合わせて言葉を表します。頭でわかっていても、人によってそれぞれ動きに個性があり、判読できず呆然する場合がほとんど。よく考えれば、それが普通。日本語の場合でも、だれもNHKのアナウンサーのように滑舌良く、しかもわかりやすい日本語を選んで話してくれません。
自分の会話を思い出せば納得するはずです。文法なんて、考えるわけがない。ある病気で入院した時、若い看護師さんから「カーテン、開けッパで良いですか」と言われた時、「この人、何を言っているの?」と唖然としたものです。
相手の癖にきめ細かく神経を使い、察知する。自分自身に最も縁遠い気遣いを最大限に考えなければ、正確に伝えたいことを伝えることができないし、理解できない。「わっかちゃいるけれど、やめられない」と植木等の歌が耳に蘇ります。
④想像もできない世界がすぐそばにあった
聴覚を失う世界は、自分なりに想像してきたつもりです。元々、強度の近視で小さい頃の病気のせいで聴覚も悪い。しかし、小さい頃に聴覚を失った手話講座の先生から生まれ育った時からの生活、そして学校教育は全く知らなかったことばかり。
聴覚が無いからと職業の選択は狭い。理髪店、クリーニング店など。そういえば高校生の頃、通った理髪店のご主人は耳が悪く、言葉も不明朗でした。補聴器を装着していたのを思い出しました。でも、当時、全く気になりませんでした。こちらの話が通じていれば、良いんじゃない。理髪店のご主人がなぜこの職業を選んだのか思いを馳せることはありませんでした。
女性は縫製技術などを学ぶそうです。講座の先生は、受講生全員にとても可愛い装飾が施されたブローチをプレゼントしてくれたことがあります。手先が器用な先生だなあと思いましたが、職業として選ぶよう強いられた事実まで考えが及びませんでした。
日常生活はもっと驚きでした。玄関の訪問者を知らせるピンポーンも耳の聞こえない人には役に立ちません。パトカーや救急車、消防車のサイレンも聞こえません。近所が火事で大騒ぎとなっていても、全く気づかなかったこともあると先生が語っていました。
⑤「できないことは無い」を知る
聴覚を失った人は、聞こえないのだからと多くの可能性を奪われています。例えば自動車の運転。周囲の音は自動車を安全に運転する際に需要な情報です。聴覚が無ければ、その情報が危険のサインに気づかないことを理由に、つい最近まで車の運転が禁止されていると知りませんでした。
運転免許の獲得運動が本格化したのは1968 年(昭和43年)。1973年に補聴器装着を条件に免許取得に道が開き、2008年6月の道交法施行規則改正で重度の聴覚障害者も視野の広い大型バックミラーを備えることなどを条件に普通乗用車の免許取得を認められました。 オートバイやミニバイクは2012年から。わずか10年前のことです。
運転免許は一例に過ぎません。耳が聞こえないからと避妊を強要された例もあります。人権が完全に侵害されています。
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手話の中間決算をまとめ、その結果から言えるのは、やはり増収増益。ただ、努力が足りないことがよくわかります。もし株主がいたら、「もうちょっとできなきゃだめだろう」とお叱りを受けるはずです。