北海道・ふるさとを創る2 東川町「迷わぬ自信」と富良野市「捨てきれぬ昭和」

 

東川町の道の駅「道草館」

 旭川市から路線バスで1時間ほど乗って東川町に入りました。降車したバス停は道の駅ひがしかわ「道草館」。館内は東川町をベースに栽培・収穫された農産物、加工品、木工品などが販売されています。全国でもマーケティングに長けた自治体として知られた町の道の駅です。陳列や商品説明ひとつ一つに「東川町らしい」味付けがされており、町の豆腐屋さんで作った「寄せ豆腐」のパッケージもおしゃれです。東川町でローストしたコーヒーも特産品として並んでいます。大雪山系をイメージして焙煎したそうで、製品名は「大雪」「旭岳」など。ネットで申し込めば一袋から送料無料です。零下20度以下にもなる寒冷地の東川町でコーヒーが収穫できるの?と勘違いするほどご当地の特産品として生まれ変わったコーヒー豆が並びます。巧みです。

 

東川町の名産品がコーヒー?

きれいに除雪された道路

 街を歩くと、もっと新鮮な驚きと出会いました。2022年1月、北海道は大雪に見舞われていました。道路はきれい排雪されて車道と歩道は明確に分かれ、道路の脇の雪壁はしっかり固まっていました。安心して歩くことができます。

 時間帯がちょうど学校の下校時に重なり、多くの生徒さんとすれ違うのですが、ほとんどの生徒が見ず知らずの旅行者の私に「こんにちは」と挨拶してくれます。人口1万人に満たない町です。よそ者かどうかはすぐにわかります。最初はたまたまかなと思ったのですが、ほとんどの生徒さんが挨拶をします。なんか受け入れてもらった気分になります。よそ者にとって、やっぱりうれしい。この瞬間、町のファンになってしまいました。

 北海道の東川町をご存知の方は多いでしょう。「写真の町」など個性的なアイデンティティを次々と創造する一方、子育て世代や外国人留学生ら域外からの移住者を積極的に招く制度を拡充し、新住民を増やし続けています。1993年の人口は7000人弱でしたが、2021年初めには8500人に迫っています。

 日本の全人口1億2500万人は毎年減り続けており、とりわけ北海道は全国平均を上回る勢いで人口減に襲われています。しかも195万人都市の札幌市にどんどん人が集まっていますから、道内他域の人口減は猛烈です。東川町は優秀な医療機関を抱える旭川市に近い立地のメリットがあるとはいえ、町独自の施策を次々と打ち出して人口増を実現。政府の掛け声倒れの典型ともいえる「地方創生」を体現する全国から注目を浴びる自治体です。

家電や飲料メーカーの発想で地域を新規開発

 旭川周辺の地域は北海道産でもおいしい米として知られる「ゆめぴりか」はじめおいしい農産物、家具など木工技術で知られています。周辺の自治体はいわゆる「町おこし」にとても熱心で互いに切磋琢磨しており、全国や海外に向けての情報発信も積極的です。

 「ゆめぴりか」を開発した上川農業試験場長にお話を聞いたことがあります。「農産物はどこに売りたいのか、需要と市場を研究して農産物を開発します。ネジを逆に回すようにまず照準を合わせた市場からスタートして味などの品質を定め、そこから地元の土壌でも育てられる種子の開発を繰り返し、ゴールに到達します。そこでネジがしっかり締まるわけです。ゆめぴりかはその結果の一つに過ぎません」。農業はその土地と気候に合った種子を選び、栽培してきましたが、「売れる農産物を開発するためのスタート地点は違うのだ」と強調します。家電や飲料メーカーの開発責任者と全く同じ発想です。

 東川町は自治体として「新しい地方創生」に取り組んでいます。「大雪山」「写真甲子園」「クロスカントリー」「木工クラフト」「君の椅子」「東川米」「ひがしかわワイン」「温泉」「株主制度」「町立日本語学校」など次々と個性に磨きをかけるキーワードを掲げ、話題を全国に広げます。パイオニアとしての姿勢は自信に満ちています。

 たとえば1985年に写真文化首都宣言。東京や札幌に並ぶ知名度や資金力はありませんが、理想と心意気は負けません。あえて大言壮語して自らの退路を断ち切ったかと思える意思の強さです。写真甲子園は全国の高校生が参加する大イベントに育ちましたし、国内外から写真家が訪れ、展示会を開きます。「写真の町 東川町文化ギャラリー」を訪れましたが、展示スペースやテーマ設定などはもちろん、スッタフの熱心な説明に感銘を覚えました。図書館などを併設した文化交流センターの広々とした空間には魅せられました。

学校の壁には生徒の写真ギャラリーも

 最も驚くのは東川町の施策を町民が共有していることでした。文化ギャラリーのスタッフとお話ししていたら、「町長は新し物好きですから、いろいろなことに挑めます」と笑った後、「近くの中学校でも写真展示していますから、ぜひ立ち寄ってください」と教えてくれました。

 その学校を訪ね、写真ギャラリーのことを質問したら、受け付けてくれた先生はすぐに「こちらですよ」と連れて行ってくれました。付き添ってくれた先生はこちらの質問にスラスラと答えてくれます。「写真のコンテストに参加することで、生徒は日頃からどんなテーマで撮影しようかを考える習慣が生まれているのが良いですね」と話します。町の政策に共感して、街全体が街が何をやろうとしているかを説明する展示場になっている印象です。

過剰な自画自賛こそキーワード

先進的な「町おこし」に努める市町村を訪れると、「自画自讃」あるいは「迷わぬ自信」がキーワードの一つだと実感します。人材や資金力に限りがあるなかで、どこまで町の良さ・強さを貫けるのか。全国を見渡したら、ここにもあそこにもあるとの指摘があったとしても、「うちの町にはこんなに素晴らしいものがある」との揺るがぬ自信に裏打ちされた施策があります。それが特産品を生み出すエネルギーを新たに創造する好循環を繰り返すようです。

 地方創生の成功例としてニセコや富良野があります。世界的な観光リゾートとして知られ、海外からの観光客、リゾート投資が集まっています。とりわけ富良野は西武グループのプリンスホテルによるリゾート開発はじめ、テレビドラマ「北の国から」の舞台、脚本家の倉本聡さんが「富良野塾」を運営するなど国内外から観光客が集まる先進事例です。2010年に開業した複合商業施設「フラノマルシェ」は地域の商業、農業が一体となって特産品の開発や情報発信に取り組み、成功例として全国の商工会議所などが視察していました。

富良野の魅力は衰退しているのか

富良野プリンスは休業中

 2022年1月、東川町の後に富良野を訪れました。コロナ禍の影響でインバウンドの観光客が激減しているため、いつもなら予約できないレストラン・居酒屋も簡単に入店できるほど空いていました。気になったのは宿泊したホテルやお店のあちこちには「倉本聡」「北の国から」関連の文字が目立ったことです。「北の国から」は1981年に第一回が放送され、今でも高い人気を保っています。

 2002年までスペシャル編が制作されたとはいえ、昭和のドラマです。フラノマルシェも開業後、10年間が過ぎました。外国人観光客が少ないこともあって、予想以上に静かな空気でした。富良野市の方と話した内容が印象的でした。「富良野は本来、農業の地。観光に頼っていたからコロナ禍に襲われた後、活気を失ってしまった」と嘆きます。

 スキーリゾート施設に勤めていた若者もがっかりした様子でした。「西武プリンスに依存していたからインバウンドが無くなったら、活気を失ってしまう。それでも海外マネーで富良野のあちこちが買収されている。ニセコ地域と違って富良野市はどんな施策を考えていたのだろうか」。否定的な意見ばかりとなってしまいました。「北の国から」に代わる新しい魅力創造が求められているのではないでしょうか。

 北海道は観光地として全国トップクラスの実力と魅力を持っています。札幌市の求心力に反発するかのように各地で町おこしへの挑戦が続いています。東川町のような「迷わぬ自信」あるいは「迷わぬ自画自賛」を自覚してブレない施策を展開する自治体が増えています。しかし、知らない間に過去の栄光と財産に依存していまい、消耗してしまった地域もあるのではないでしょうか。

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