65歳から始めたメディアサイト😜⑩ 気分はふくろう、空からふわりと地上すれすれを見渡す快感

 65歳を過ぎて始めたサイト制作に七転八倒しながらも、快感を覚える日々です。日課の散歩をしている最中に「なぜなんだろう?」と考える時があります。

七転八倒しながら快感も

 散歩道はいつも同じ公園。バードサンクチュアリもある鬱蒼とした林が多く、運が良ければカワセミと出会えます。宮本武蔵の水墨画を思い出すようなポーズから池に飛び込み、小魚を長い嘴に挟みます。素晴らしい、格好良い〜。「俺も現役記者なら、サクッとネタを獲り、記事を書くのに・・・」とちょっと消沈した時もあります。

 しかし、最近はひらりと舞いながら、樹々の隙間を飛び抜ける大柄な鳥も気持ち良さそうに見えてきました。「なんか自由」を感じるからです。65歳を過ぎてメディアサイトを制作する快感は、こういう自由もあるのかなと考え始めてから。

現役時代の気持ちを大事にしながら、ひと皮

 新聞記者の宿命は、事実に迫る姿勢です。空想をまじえて記事を書いてしまったら、自分自身はもちろん、掲載した新聞もおしまい。目指すネタを見つけたら、周到に多くの事実を集め、狙いに迫ります。気分はもう獲物を追い詰める狼のよう。30歳代のころは、それが快感でした。

 もちろん、反省は山のようにあります。取材する視線が狭く、見逃してはいけない事実を見落とすことがあります。「木を見て、森を見ず」の典型です。特ダネだと確信した記事は実は、ほんの一部。大きな流れを見逃し、結局は大局観を見失った価値があまりない記事に終わることも。

 65歳を過ぎてメディアサイトを創ろうと考えた時、獲物を探して荒野を走り回る狼の凄みはとうに消え失せていました。いざ原稿を書こうと思ったら、心も体も動かない。膝など関節が痛い、体がすぐに疲れるなど自分自身ができない理由を見つけて、「まあ、酒でも飲むか」と納得してしまう。結局、足踏みをしているだけ。

制作2年目から心境さっぱり

 ところが、サイト制作を始めて2年近くの歳月を経ると、自分自身のダメさ加減を繰り返し繰り返し実感する成果、なんか心境がさっぱりし始めます。40年近くの取材経験をグルグルっとまとめ、熱いるつぼに投げ込んで溶かし込み、そこからもう一度世の中を眺めてみることも良いんじゃないかと思えるようになりました。

 当初は抵抗がありました。書こうと考えたテーマを改めて取材し直して、事実かどうかを確認し、納得して書くのが常道。自分勝手な思い込みが新聞記者らしくないと気が引けました。

 しかし、ネットを介して世の中に溢れている情報を見ていると、自分なりの視点を投げ込んで物議を醸し出すのも良いのではないか。本当に小さな小さな一石に過ぎないけれど、波紋は起こせますし、ひょっとしたら広がるかもしれない。

これも老人力かどうか?

 老人力という表現が適切かどうか。細部にこだわらず、くるっと丸めてモノゴトを抽象化してしまう。自身の経験を振り返り、細部にこだわってもさほど違いがないと割り切る。「神は細部に宿る」という言葉もありますが、自分勝手な都合に合わせて無視するいい加減さも認めてしまう。拙い人生を送り、些細な経験をもとに記事を書く。歳を重ねなければできないことです。これは老人の特権かも、と。

 そのいい加減さに多少の申し訳なさを感じますが、記事を積み重ねていくと「見方を変えれば世の中、こんな感じで見えるよ」と提示するのも大事かなと納得できるようになってきました。

ジップラインの気分を楽しむ

 最近、ジップラインが人気です。命綱をつけて長距離の綱をぶら下がりながら森林や平原を空中から眺め、すり抜けていきます。高所恐怖症なので絶対にできないのですが、体験者の視線から映る風景を動画で見ていると、フクロウの視線はこんな感じなのかなと想像しています。フクロウほど知恵はないけれど、ふんわりと飛翔しながら、獲物を探す気分は楽しみたい。

 これがサイトに記事をアップする快感と思い始めています。

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