65歳から始めたメディアサイト☝️「デジタル・ジャーナリズムは稼げるか」の読書感想文

 読者感想文が苦手です。北海道・函館市の小学生のころ、全国読書感想文のコンテストで最優秀賞を獲得した6年生の先輩がいました。本の名は「銀色ラッコのなみだ」。すぐに思い浮かびます。「この小学校から全国で最優秀賞を獲れる人がいるんだあ」との驚きは強烈でした。朝礼の壇上で表彰される生徒があいさつしている姿を鮮明に覚えています。「どんな文章を書くと最優秀賞を獲れるのか」。そこから文章が進みません。苦手意識ばかりが記憶に残ってしまいました。

還暦過ぎて読者感想文に挑戦

 以来60年過ぎて、ふと読書感想文を書いてみようと思いました。「デジタル・ジャーナリズムは稼げるか」(ジェフ・ジャービス著、東洋経済新報社)。たまたま立ち寄った古本屋で100円の値札を見て衝動買いしました。著者は自らメディア・テクノロジーをテーマにしたブログを主宰して高い人気を集め、グーグルなどネット・インフラにも精通しています。私は米国のメディア事情を熟知してませんから、理解に苦しむ内容もありましたが、なんとか読み切りました。読後感はなにかモヤモヤ。このモヤモヤを整理すれば自身のサイトに何か参考になるのではないか。これが動機です。

インターネットはオッサンの郷愁を吹き飛ばす

 自分自身、40年間ジャーナリズムの世界に身を置き、新聞・テレビの表も裏も知っています。文章、動画を使うデジタル・ジャーナリズムの制作現場も体験しました。新聞は部数減に歯止めがかからず、消滅寸前。取材、執筆、出稿、編集、レイアウト、印刷を経て出来上がる新聞の躍動感を知る身にとって寂しさが募ります。あの感動を体験できない若いジャーナリストは今でもかわいそうと思っています。

 そんな紙への郷愁はインターネットが簡単に吹き飛ばしてしまいます。還暦過ぎのオッサン自らサイト制作に挑んでいるのも、メディアを取り巻くデジタル・情報技術に合わせて変身するジャーナリズムの新しい世界を知り、そして遊んでみたかったからです。

 さて、読書感想文。書名の「デジタル・ジャーナリズムは稼げるか」には、その構え方にたまげました。デジタルに限らずメディア企業、ジャーナリストなどが直面する最も大きな課題です。こんなテーマを一冊に収められるのか。しかも、正解はどこにあるのか、誰も知りません。まさに暗中模索、五里霧中、糠に釘。興味のある人ならこの書名に目が止まります。ネットの覇者はさすが掴みがうまい。

情報、発信を独占したメディアは大儲け

 本書で「レガシー・メディア」と呼ばれる新聞・テレビは情報を独占していた頃、大儲けしていました。ルパード・マードックがオーストラリアの地方紙を世界的なメディア企業に育て上げた経営手腕が証明しています。日本のメディアも新聞社がテレビ業界を握り、「ナベツネ」と呼ばれた読売新聞の渡辺恒雄さんを例に引くまでもなく、戦後日本の政治・経済に深く影響を与え続けました。

  しかし、インターネットは、メディア企業の独占に風穴を空けます。誰もが情報発信でき、SNSがニュースや動画を発する最初のメディアとなります。マスメディアがネット上の情報を材料に番組を作るのが当たり前になっています。SNSなどネット上で拡散する生の情報があたかも全て真実のように伝わる一方、マスメディアが流す情報は様々な思惑で再編集されているとして「マスゴミ」と呼ばれる始末です。

ネットはコンテンツ、その受け手ともにメディアから解放

 著者のジェービスさんは、メディアは「コンテンツ」と「公衆」という2つの価値を生み出してきたと指摘します。メディアはニュースやコラム、番組などコンテンツを制作するクリエーターであると同時に、コンテンツを受け取る公衆も手中に収めていました。インターネットはこの2つの価値、言い換えればメディア企業の収益の源泉を誰でも手にできるように解放しました。もうマスメディアの「マス」は消えたのだと。メディアビジネスの経営を根底から覆したのです。

 ところが、メディア企業は情報も発信も独占していた頃のまま。取材体制、経営組織のコストを吸収できないメディア企業は収益難に襲われ、どこも人件費や制作費のカットに追い込まれているのが現況です。

著者はサービス業への転身を提言

 著者はメディアは将来を考えているのでしょうか?「コンテンツを作って売るやり方をやめ、サービス業へ生まれ変わるべきだ」と提言します。情報の受け手である人々が、目標に向かって行動する手助けをする事業に変わるのだというのです。

 当然、疑問が生まれます。情報のサービス業でお金を稼げるのか。情報を独占しているわけではないので、利益率は格段に低下します。私のように趣味で情報発信しているならまだしも、メディア企業は取材、制作、経理・総務などの組織で成り立ち、多くの人に給与を支払わなければいけません。

 著者のジャービスさんは「情報にお金を払う人は確かにいる」と説明します。それはブルンバーグやロイターの顧客をみてみろと。しかし、顧客が支払う価値は情報のスピード。ロイターなど通信社が売っているのは情報ではなく「スピード」だと言います。

 情報の価値はSNSを介してあっという間に拡散します。多くの人が知れば、情報の価値は無くなり、お金を支払う人はいなくなります。「メディアは根本的に考え方を変えるしかないだろう」と著者は明言します。

アダム・スミス「なぜ水はダイヤモンドより安い?」

 「なあ〜んだ、デジタルになってもお金を稼げないじゃない」。この辺から、首を傾げたくなりました。例えば、ニュースなど情報の価値は時間の経過とともに減価してくのでしょうか。メディアが発信するコンテンツは、一瞬一瞬で変動する為替相場だけではありません。コンテンツとして選ぶ情報には、将来の予測や新たな発見につながる貴重な指摘などもあります。時間の経過と反比例して腐るとは限りません。

 著者のジャービスさんは情報の価値を認めていないわけではありません。ただ、価値には矛盾があるのだと説明します。その事例としてアダム・スミスの問いかけを引用しています。

水は人間が生きる上で不可欠なものだが、ダイヤモンドはそうではない。なのにダイヤモンドは水よりもはるかに価値が高いことになっているのはなぜか。

 この引用に続けて、「社会にとって不可欠と思える情報は、なくても困らないエンターテインメント作品よりも当然、価値が高いはずである、にもかかわらず、その価値の高い情報を売るジャーナリズムがビジネスとして成り立ちにくいのはなぜだろう」と情報価値の矛盾について説明します。

情報はもう売れないのか時代なのか

 一読すると、思わずなるほどと唸りそうになりましたが、納得はしません。この矛盾の説明には著者ジャービスさんのメディア、あるいは情報の価値に対する自身固有の先入観が土台になっているからです。それは「情報は今、この瞬間にカネにならなければ、価値はなくなる」といった損得勘定でジャーナリズムの価値を考えているのです。

 果たして、そうでしょうか。

=次回に続く

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