65歳から始めたメディアサイト😅③ メディアとはなにかを考える時間

 うすうす予感していたのですが、大病が見つかった時はやはりショックでした。

じっくり寝ながら考える時間を持てたのがよかった

 半世紀近く好きなお酒は飲んでいます。人間ドックに行くたびに血圧以外はまあまあの数値です。周囲には「健康を確認するために行っている」と冗談を飛ばしていたほどです。唯一の不安材料である飲み過ぎについても手は打ってあります。「かいわれ大根」や「スプラウト」の商品化で素晴らしい業績を上げている村上農園の方から「酒飲みにはウコンが効く。小指の先っぽぐらいを生でかじっていれば肝臓は持ちますよ」とアドバイスされたことを10年以上も守り、肝臓など酔っ払い関連の数値はまずまずの水準を維持していました。

 しかし、そんな見かけの数値は自分勝手な思い込みに過ぎません。ここ数年、それなりの役職を任されたせいか、思わぬストレスの連続です。「なんでこんなことが起こるのか、事前にちゃんと手を打っておけば十分に解決していたはず」といった案件が飛び込んできます。腸のあたりがモヤモヤするを覚える瞬間が増えていました。

 病気が判明する前、40年間勤めていた新聞社は翌年に役職を離れ、自由な身になる予定でした。すでに「自分で制作するなら、どんなネットサイトにしようか」とぼんやり考えていましたから、翌年から1年間は助走期間と位置付けて、サイトの勉強を「イチから」どころか「ゼロから」始めて河原の石積みのように進めていけば、1年後はなんか格好がつくのじゃないかと考えていました。

サイト制作の助走期間が病気との対峙に

 そんな呑気な翌年が、病気と対峙せざるをない”翌年”になってしまいました。大病という名の病気でいえば網膜剥離の手術を経験したぐらいです。まさに腹を切る覚悟を固め、翌年の春に手術室に向かいました。全身麻酔が覚めたら、体中に何本あるのか数えきれないほどパイプが刺さっています。なぜか「人権蹂躙だ」との言葉が頭の中を飛び交いますが、抵抗する気力が全く湧きません。10日間程度の入院、退院後も治療が続いたのですが、気分転換につながったのがサイトの制作でした。

 とても自分を鼓舞するきっかけになりました。身動きできない自分の姿を見ると気が滅入りますが、サイト制作の手がかりも足掛かりもないにもかかわらず、健康を回復したら「やるぞ」と鼓舞します。実は書きたいことは山ほどあります。編集局を離れて10年以上。他人の記事を読みながら自分ならこう書きたいと考える一方、仕事を通じてあちこちに動き回る間に「いつかはこれを書きたい」という新しいネタの仕込みを忘れていません。実際に原稿を書く頃には新ネタが古いネタになってしまっていますが、その時に浮かんだ視点を足掛かりに今を描けばモノになるはず。

 サイトの主眼は環境をキーワードにしようと決めていました。高校時代、青森県・六ヶ所村で持ち上がっていた騒動を見聞きしていましたし、赴任先の金沢では「原発銀座」と呼ばれた北陸を走り回りました。東京本社でも電力、エネルギー業界を担当。付き合いが最も長い自動車は環境問題が新車開発の最大の命題です。環境取材チームと一緒に「ゼロマネジメント」というタイトルの本も出版しています。タイトルには「ゼロ」を使うことを決めました。

 しかし、環境といえばカーボンゼロはじめネット・ゼロなどゼロという文字が飛び交っています。単なるゼロでは存在感が全くアピールできない。ゼロに向かう意味の「to ZERO」はどうかと考えたのですが、世界ではもう何十年も前からゼロに向かう試行錯誤が続いています。

焦らず寝たり起きたりの間に思いついた「From to ZERO」

 そうだ、ゼロに向かっている現状をスタートラインにしよう。「From to ZERO」というタイトルが決まります。和製英語のような使い方になりますが、意図する気持ちはわかってもらえるかなと思い直し、決めてしまいました。治療薬で体中が痺れていたせいか、焦りも生まれず寝たり起きたりしながらぼんやり考え続けたのがよかったのでしょう。

 「具体的な制作作業に移ろう」。サイトのタイトルが決まったので手術で傷と穴が開いている腹をながめながら、決めました。手術から3ヶ月ぐらい過ぎた頃でした。

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