65歳から始めたメディアサイト制作 遺書代わりと勘違いする人もいますが・・・

 長年、新聞記者を務めた後、書籍を出版したり、ブログを始める先輩、後輩がいます。新聞社も会社です。65歳までの会社人生の流れは同じ。記者、編集デスク、管理職などを経て65歳を迎えると一区切り。再雇用で働き続ける人、フリーランスとして再始動、あるいは自身のキャリアを生かして他の会社へ転職、大学などの教育現場に身を移す人もいます。

会社人生の区切りを機に書籍やブログを始める人も

 中には、現役時代に遭遇した大事件の舞台裏をまとめ、書籍として出版する例もよく目にします。自分自身が目撃し、記事化したニュースをその後、改めて振り返り、取材を重ねて明らかになった事実などを加え、当時の新聞記事で伝えた視点と違う見方もあることを提示する。その気持ちはよくわかります。現役時代、毎日のように原稿を書き、新聞記事として報道しても、新聞紙面に制約があるからです。何でもかんでも書くわけにはいきません。

 新聞記事の基本はコンパクトに、そして読者ができるだけわかりやすい内容に仕上げることです。記事として伝えたいことを絞り込むため、どうしても削り落としてしまう事実はあります。書くに値しないというわけではありませんが、あれもこれも満載するてんこ盛りの記事は、どうしても読者にわかりにくい内容になりがち。テレビの食べ歩き番組を見ていると、新鮮な魚介類を山盛りにする海鮮丼が高い人気を集めていますが、新聞記事の場合は読者から「ネタが多過ぎて何がおいしかったのかわからない」と言われたら失格。山のように取材したにもかかわらず、わずかのネタしか記事に書き込めない記者自身が消化不良をおかしてしまうこともたびたびです。

現役時代の消化不良や不完全燃焼を引き摺る?

 その消化不良を忘れられない人が多いのでしょう。あくまでも建前上ですが、かつては自分が勤める媒体以外で記事を掲載することは御法度でした。最近は新聞の力が衰えていることもあってか、現役記者が書籍を出版したり、週刊誌や月刊誌に原稿を書く例が増えています。新聞記者が蓄えた取材ネタなどが埋もれてしまうのは勿体無いとかねがね考えていましたから、とても良いことです。

 新聞社を退職した後、現役時代の消化不良、それとも不完全燃焼だった思いが忘れらないのか、大手のブログなどを利用して自分の考えを綴って掲載する人も増えています。65歳以上の元新聞記者がバリバリと活躍していた1980年代からの記録を残すことはとても大事ですし、30〜40年の取材経験を基に現在、目の前で起こっていることを考え、伝えることは読者にとっても貴重な情報、視点になると信じています。

 同じ事実を目撃、取材しても、どう考え、理解することは人それぞれです。現在の現役記者たちが伝える記事と違ったしても、いろいろな意見が交錯することは民主主義の社会にとって大きなプラスですし、発言する場が多いことが健全な世の中である証明にもなります。

人生を振り返るわけではないのに・・・

 残念なのは、65歳で会社人生に区切りをつけたのをきっかけに書き始めることを「自分の遺書のように文章を残したいから」と批評する人がいます。そう指摘されれば、そうかもしれません。日本人の平均寿命を考えれば、あと20年は生きていません。

 とりわけ日本の新聞は深夜まで原稿を書き、編集して翌日の未明に印刷、読者の皆さんに届ける仕組みでした。朝、夜を問わず走り回り、原稿を書き、食事する不健康な生活の典型例です。1990年、新聞労連の調査によると、新聞記者の平均寿命は60歳前後。信じられない数字ですが、悲しいことに50歳代で亡くなる諸先輩、同僚、後輩が相次いだのも事実です。65歳まで運よく生き残ったと言われても、「そうです」と素直に答えてしまいます。

いろんな意見がいろんな場で発する重み

 だからこそ、65歳を過ぎても、記事を書き続ける意味があります。人生を振り返り、あの時はどうだったと感慨に耽るのではありません。30年以上も様々な分野を取材して、それなりに世の中の仕組みを見聞した人間が、今をどう見るのか。20歳代、30歳代の新鮮な目で今を切った記事とどう違うのか。ガチンコで比較すれば、一味も二味も楽しめます。いろいろな世代が世界を、日本をどう描くのか。

 もちろん、新聞記者は一例に過ぎません、多くの人が職業、年齢に関係なく言葉、文章を発する重みは、どんどん増していると考えています。

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