手話 再び一年生、気づかなかった風景が聞こえるように
顔の表情を表す難しさに頭を抱える、脳が追いつきません
極端な表現ですが手話は、脳から指令が発せられ、笑顔を浮かべるプロセスが必要です。手話一年生の私の脳は手と指の動きを指示するので精一杯。例えば「〇〇は苦手」という手話をしながら、顔の表情もつまらなそうに意識して連動させることはこれまでの日常で経験がありません。
笑うといっても、仕事上で「ここは一発、笑っておいた方が良いだろう」とお愛想笑いをする時はあっても、家族や友人に対し意識して表情を変えて話すことはほとんどありません。
顔の表情を意識して変えるというのは、相手に誤解をされずに伝えられるいう信頼感が必要です。わざとらしい、恥ずかしいと思ってしまったら、もう表現者としてつまづいている感じです。
手話でもっとも痛感したのは、自分の意思を伝える思いを相手もしっかりと受け止めるという気持ちを共感することでした。なぜって、ぎこちなく顔の表情を変えながらも、自分が伝えたいことを表現するのをしっかりと、しかも時間をかけながら受け止める余裕を面と向かって対する相手に伝えるには信頼関係がなければできません。
野球のキャッチボールと同じです。こちらからボールを投げても、相手が受け取る気持ちがなければどんな良いコースに投げても受け取ることはできません。ボールを介した気持ちのやり取りですから。
手話は相手の思いを察する優しさがポイント
初心者にとって手話で最も大事なポイントは、相手の思いを察するやさしさだとようやく気づいたのです。経験不足の初心者にとって、顔の表情、へたくそな手や指の動きは恥ずかしいという思いが先走ってしまいます。みなさん、同じ経験を思い出しますよね、そうです。海外旅行で使う英会話です。稚拙な表現、自信のない発音。RとLの違いができない、などなど。そこは度胸でHeart to heart、伝える気持ちがあれば伝わるはず、相手も理解しようと思えばわかってくれるはずとの勝手な前提が必要です。
手話を英会話と同列にして良いのか迷います。ただ、海外旅行をして感じるのは、お互い理解しあおうという気持ちがあれば、なんとなく通じる経験があります。私の母親を初めて海外へ連れて出した時、ホテルのレストランでサービスするスタッフが母親に話しかけて説明するのを見てたら、母親はうなずきながら日本語で「これにして」と口頭で答えただけなのに、想定した料理がテーブルの上に載ったのを思い出します。
そんな自らの不勉強よりも、なによりも手話講座を受講して良かったと思えたのは、これまで凝視しても理解できなかった手や指の動きが多くの意味を持ち、自分には何もなかったとしか思えなかった風景が目に映り始め、耳に聞こえ始めたことの感動です。同じ空間に居ながら、違う時間と空間が別に存在していたという驚きといって良いのでしょうか。先生の美しい手話の動作を見ていると、話し言葉が聞こえ、語っている風景が見えてきます。ちょっとした動作が表す意味から、自分の人生経験から投射される風景が目の前に映し出される思いです。
ただ、こんなエピソードは手話も英会話も初級者まで。手話ニュースや映画などを見て、なんとなく意味を理解したつもりになるのは、逆に相手がしっかりと伝えたいという気持ちを持っているからだと理解しています。今年は手と指のあざやかな動き、そして表情も豊かに変わる顔を楽しく読み取り、返答できるようがんばります