2021年の東京オリンピック

手話に昭和の息遣いが残る。令和はヒップポップ、それともスケボーがキーワードに

手話の講座が再開されました。コロナ禍が落ち着くまで3ヶ月ほど休講した間、NHKの「みんなの手話」を視聴して自習しました。自習という意識をもったのは高校生以来です。自習しようと自覚したのは自分でも立派だと褒めてやりたいぐらいですが、先生とのやりとりがないと覚えません。先生と相対する緊張感が学習に大事なことがわかりました。今、大学などでオンライン講習が当たり前になっていますが、先生と同じ空気を共有する意味を知りました。笑ったり恥ずかしがったり喜んだり。一喜一憂がとても大事なコミュニケーションであることを痛感します。

まだ初級ですから、文字取りイロハから覚えています。前回に続き、初心者の新鮮な驚きを綴っていきます。専門家の目から見ておかしな点が多々あると思いますが、初心者の驚きとはこんなものなんだと笑ってください。でも、本人はとても面白がっていますから。話し言葉で簡単に伝えている自分の考えを手話という言語に変換して伝えることは難しいのですが、思いもしない視点や切り口で言語化してしまう発想にドキドキさせられます。

明治、大正、昭和の元号表現にはびっくり

例えば元号です。今日、明日などの手話を覚え、元号の明治、大正、昭和、平成などをそう表現するかで「目からうろこ」体験をしました。まず表現方法です。明治を手話で伝える時はすぼめた右手を丸くして握りながら下ろして、あごから伸びている長い髭を撫でるように表します。大正は右手の人差し指と親指を少し離して鼻と口の間、髭が生える顔の部分で指を右へ跳ねるように上げて指をくっつけます。昭和は人差し指と親指を伸ばしたまま襟首に当てます。表現の語源を想像できますか。

明治と大正はそうです、天皇陛下の肖像が語源のようです。明治天皇は立派にはやしています。大正天皇は確かに鼻と口の間に髭をはやし、ぴょんと跳ねたイメージです。それでは昭和天皇はなぜ人差し指と親指を伸ばしたまま襟首に当てるのか。カラー(襟)を示しているそうです。カラーからイメージするのは中学・高校生の時に着た学生服を思い出します。白いプラスチック製のカラーを学生服の襟にパチン、パチンと音を鳴らして貼り付けた記憶です。首回りが痛くて好きじゃなかったです。昭和の初めの頃、襟が高いシャツや上着が人気を集めたのが語源だそうです。しかもカラーの語源は高い襟、ハイなカラー、縮めてハイカラから生まれたという説があるそうですから、もう戦前の昭和でしょうか。学生服は今でも着用されていますが、自分の年齢から見ても中高生時代の思い出にしか残らない「カラー」の残像から手話の授業中に思わず「自分にとってカラーはもう死語に近いなあ」と言ってしまい、周囲から失笑をかいました。

パラリンピックはさらにびっくり

手話の元号表現を学んでいる間に日本の明治以降の生活史を思い浮かべるシーンが続き、手話に言語として残っている残影と現在の時差を感じざる得ません。しかし、言語はその時その時の生活が記録されて人々が意思疎通する記号として伝わり、今私たちが学んでいるわけです。普段、話し言葉で簡単にスルーしている「昭和」という文字が手話になると、50年前以上の自分の姿を思い出させてくれる力を持っていることに驚きます。

パラリンピックの表現にも驚きました。2021年8月は東京でオリンピックとパラリンピックが開催されました。それでパラリンピックをどう表現するかを教えてもらいましたが、パラリンピックのポスターに紹介される3本線を指で斜めに切るイメージを空に描くような動きでした。先生は「実は・・・」と言ってこの間まではこんな表現があると言われ、両腕をそれぞれ切る仕草をしました。受講生みんなびっくりです。身体障害を表す目的だと思うのですが、腕を切る仕草は衝撃です。東京でパラリンピック開催が決定し、手話も使用する頻度が高まったせいのか、両腕を使う表現からパラリンピックの象徴である3本の斜線を描く手話に変わったようです。

このエピソードから昭和に発行された書籍の表現を改めてちょっとチェックすると、引く瞬間があるのは事実です。昭和を代表するジャーナリストの1人である大宅壮一さんの「炎は流れる」(昭和39年発行)を読んでいる時、ちょっと今の新聞やテレビで使えないなあという表現があります。本書で使っているわけではありませんが、新聞社の編集面を担当するデスクを務めている時はかつては気にせず使用していた「片手落ち」などの身体障害を示唆する表現には注意を使い、もう20年以上前から使いません。昭和の書籍には出生地、封建的な身分制度、職業などの表現がドキッとする感じで当然のようなに採用されており、読むたびに10〜20年の間にこんなに読み手の意識が変わるのかと思ったものです。

誤解しないでください。差別や誹謗中傷をする言葉の使い方を肯定することはありません。言葉の使い方に神経を使うのと、非難する言葉を違うのは全く別世界と理解しています。ハラスメントの言葉や態度が毎日のように仕事上問題視されて、人間の尊厳が多くの視点から考える時代の中で全く根拠のない避難の言葉が使われるのは問題外です。

言葉の使い方は日々、年々変わっていきます。本来使いたい言葉を周囲の目を気にして捨てることは避けたいです。ただ、言葉選びに神経は使うことはおかしなことではありません。手話を学んでいると、差別などを意図した言葉とは全く受け止めませんが、話し言葉では利用しないなあというものあり、言葉として経験を重ねる時差を感じます。

県名を学んだ時も「へえ〜」でした。。出世地の青森県出身をどう表現するかというと、手をほおに持っていきそのまま顎まで下げます。続いて両手を開いたまま、手の甲を向けて上下させます。ほおを擦る意味は何かと質問したところ、答えは髭剃り後の青。手話では青を意味します。こちらもかなり意外感がありました。髭剃り後が青いというイメージは、申し訳ありませんが昭和の元号を表現する「カラー」と同様に時差を感じます。電気カミソリがかなり高い精度で髭を剃ってくれますし、金属の剃刀も肌を傷つけずにきれいに仕上げることができるようになりました。髭を自然に伸ばす人も増えました。個人差があるので一概には言えませんが、髭剃り後が印象深い人は減っていると思います。

言葉がたどった道を気づかされる

手話の言語学などの専門家である松岡和美さんの書籍を読むと、日本語と日本語手話は言語学的に異なると明記しています。今は勉強している最中でこれからようやく実像が見えてくると思っていますが、話す日本語と手話としての日本語のコミュニケーションが辿った道はそれぞれの進化する過程で表現が蓄積され、語る力が膨らんでいる印象です。だからこそ同じ日本語を使っているように思えても、手話の勉強過程で見える話し言葉との差異を知り、話し言葉で気づかない発想に驚かされます。それがとてもおもしろいです。

あっけらかんと言わざるを得ないのです。自分が普段使っている日本語と違う世界を手話に感じます。手の仕草だけでなく顔や口の表情があってこそお互いのコミュニケーションが成立する。これまた飛躍する印象を受けうけるかも知れませんが、米国のhitspopのダンスを勉強する感じです。昭和、平成、令和と西暦とは違った時間軸で表現される流れの中で、手話が今の空気を吸ってどう変わっていくのかとても興味深いです。

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