国立天文台の反射望遠鏡

トヨタイムズに Time ! 😅 (星の王子さま 編)ジャーナリズムの真髄が見えてくる

サン=テグジュペリの名作「星の王子さま」(岩波書店、内藤濯訳)を久しぶりに読み返しました。冒頭、ウワバミの絵のエピソードが出てきます。ゾウを飲み込んだウワバミを描いて「これ、こわくない?」と見せますが、胴体が大きく膨らんだウワバミの外見だけを描いたので「帽子がなんで怖いのか」と大人は答えます。

これならわかってくれるだろうとウワバミの中でゾウを消化されている透視図に書き直します。そして「これはこうだと説明しなければならないようでは、子どもは、くたびれてしまうんですがね」との思いを強め、一度は決めた画家の道を諦めて飛行機の操縦士を目指します。

しかし、その後に出会った星の王子さまは最初に描いた絵をひと目見るなりウワバミを飲み込んだ絵だと理解してしまいます。ここからこの名作はどんどん世界を広げ、大人の社会をするどく描いていきます。

読み返した時、取材の真髄を突かれた思いでした。記者現役時代、新人に何度も話したのは木星観察の例です。天文少年だった私は父親に買ってもらった反射望遠鏡で中学生の頃、夜空を毎夜覗いていました。土星や木星は月と違って星の表情が複雑で好きでしたが、木星表面の縞は望遠鏡から観察してもよく見えません。

観察を重ねると、見えなかったものが鮮明に見えてくる

毎夜、毎夜、観察を重ねるとなぜか木星の縞が鮮明に映ってきます。望遠鏡のレンズは変わりませんから、自分の目の解像力が変わっただけです。

新聞記者として多くの現場を経験してみて、取材は木星の観察と同じなんだと合点がいきました。取材は「ここがわからない、教えて欲しい、知りたい」と何度も繰り返すのが鉄則ですが、新人記者は優秀な学歴を持つ人材が多いので「知らない、理解できない」と言うことを恥ずかしいと思う人がいます。「わかった」つもりで記事を書いてしまうのは、社会にとって迷惑でしかありません。

ですからテレビドラマなどで登場する新聞記者の言動を不思議な思いで眺める時がたびたびです。メモとペンを持ちながら取材先を追いかける姿に「こんな記者、いるの?」。「本当のことを教えて」と言われても「家族や親友でもないのに話せると思う?」と取材相手は思いますよね。じゃあ、真実を知るためにはどうすればよいの?正解は何かと自問自答しながら取材を繰り返すしかないのです。

トヨタイムズでも編集長や記者が登場します。編集長や記者と自己紹介するぐらいですから、この人、どんな取材して記事を書いてきたのかなと野暮な想像をする習性が消えません。

編集長や記者という肩書きを使うのが心憎い。テレビ業界のプロデユーサーやディレクターといったカタカナを採用せず、昭和の香りが強い漢字肩書を選ぶのはまだ信用力がある証拠なのか、と勘違いしますよね。嬉しさ半分です。制作上の演出だけなら悲しさ半分です。入社当時、新聞記者と書かれた名刺を人事部からもらい、有頂天になっただけに・・・。

星の王子さまは最後、次の文章で終わります。

「空をごらんなさい。そして、あのヒツジは、あの花をたべたのだろうか、たべなかったのだろうか、と考えてごらんなさい。そうしたら、世のなかのことがみな、どんなに変わるものか、おわかりになるでしょう・・・・・。そして、おとなたちには、だれにも、それがどんなにだいじなことか、けっしてわかりっこないでしょう」

最初に読んでから半世紀が過ぎました。内藤濯さんの日本語はすごいなあ、うっとりします。

 

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