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ジャニーズもメディアもBBCは黒船ですか 170年経ても自己変革できない日本

 ジャニーズ事務所を巡る性被害問題は、日本が抱えてきた課題を改めて暴き出しています。問題の所在はわかっています。でも、その解決に挑めば多くの軋轢を生むため、結局は変革に立ち向かわない。今回の同事務所の問題は2004年に最高裁判決で確定し、認定されています。以来19年間、新聞、テレビは、もしBBCの登場がなければ何も変わらなかったのでしょう。

 結局は英国公共放送のBBCが放送し、背中を押されるように報道が広がります。実体験はありませんが、きっと太平洋戦争後、敗戦によって不可侵と信じられた軍国主義が崩壊し、民主主義へ移行する際に巻き起こった合唱はこんな感じだったのでしょうか。芸能界に君臨したジャニーズ事務所の廃業は、外野席から眺めていてもメディアが手のひら返しのように批判する風潮が広がり、あまり気持ちがよくありません。

 幕末・明治以来の伝統です。周囲への「忖度」を気にして自ら変革に乗り出すことに躊躇する。しかし、海外などの外圧があれば、「海外から指摘されているのだから」を理由に重い腰を上げ、周囲の目を恐れずに動ける。太平洋戦争後の奇跡の復活も過去の秩序を葬り去った米国の力があったから実現しました。最近の地球環境問題への対応も経団連会長が「黒船」と呼び、企業へ積極的な取り組みを連呼していましたが、かなり違和感を覚えました。自分自身の頭で考えず、抗しきれない力だからと諦めて実行する。こうした本音が露わになっています。ジョニーズ事務所を巡る騒動をみていると、BBCはまさにマスコミにとって黒船でした。

最高裁判決から19年の歳月

 性被害認定の経緯を簡単に振り返ります。創業者による未成年者への性加害は、1999年に週刊文春がジャニー喜多川元社長によるタレントへのセクハラについて報道し、元社長とジャニーズ事務所は名誉毀損を理由に文春側へ計約1億700万円の損害賠償など求め提訴しました。地裁、高裁で賠償金額、真実性の認定がされ、2004年に最高裁がジャニーズ側の上告を棄却し判決確定しています。そして2023年3月に英BBCが元社長による性的虐待疑惑を報道するまで19年の歳月が過ぎました。

 2023年3月からジャニーズ事務所が性加害に関して謝罪する記者会見を開いたのは9月。6ヶ月にかかりました。最高裁で確定しているにもかかわらず、「知らなかった」で逃れようとした事務所の発想性にまず驚きましたが、メディアが「人権意識が低かった」とのコメントが相次いだのは9月の記者会見以降からです。誰も違和感を抱いたはずです。

 新聞、テレビなどメディアは裁判所の報道現場には優秀な記者を配置し、判決内容を精査して重要なニュースはていねいな解説を加えて伝えています。メディアの役割として説明は不要でしょう。そのメディアが最高裁判決でジャニーズ事務所の創業者による性加害を認めた時点で、社会的な影響と犯罪性に気づかないわけがありません。メディアの習性としてなぜ詳しく追求しなかったのか不思議です。

メディアは日頃、重要視

 普通に考えれば、意識して避けたと考えるのが妥当です。大手新聞社で記者を務めていましたが、ジャニーズなどテレビ関連のコンテンツは専門外だったので週刊文春などを読んでいただけです。弁解ではなく自分の仕事ではなく「社会部」の領域です。彼らが書かない「何か」があるはず。口出する気もありませんでした。

 新聞記者はお互い自分自身の担当領域に強い責任と自覚を持っており、「書く」「書かない」の判断は記者の考えを尊重するのがルールです。「書く」と決意したら、反対があったとしても説得してでも報道する。それがジャーナリズムを支える柱でもあります。

担当記者が口を開く時

 今から振り返れば、芸能界の”常識”をどう捉えるのか。さらに大手テレビ会社は新聞社との資本関係が強く、テレビ会社の経営に影響を与える事案については空気を読む雰囲気もあったのかもしれません。しかし、それはあくまでも憶測です。当時の記者が今、語ることが大事です。

 明快にいえるのは、未成年者の性加害は犯罪です。名誉毀損などの問題とは違います。最近、ようやく加害者が被害者の補償を審査する奇妙な事実を指摘する意見が出ていますが、本来なら新聞やテレビが積極的に取り上げるテーマです。実際、ニュース番組では塾講師による性加害が繰り返し報道されていることを考えれば、ジャニーズ問題が見過ごされるどころか大きく取り上げなければいけない事件であることは明白です。

変革の誘引が海外とは情けない

 太平洋戦争が敗戦で終わり、民主主義国家への道をひた走ってきました。世界でも誇れることです。ただ、内部告発など勇気ある発言があっても、過去のしがらみから逃れられず、眼の前の壁をぶち破ることができない。日本だけではありません。

 しかし、それは弁解にもなりません。そんなことは無謀な蛮勇だと非難され、それを恐れて自主規制する。その繰り返しをいつまでも続けているのか。これでもう終わらせたいです。

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