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すべてのメディアがジャパネットに そんな日が近づいている

  テレビ・新聞を毎日、眺める生活を送り、もう60年間が過ぎました。小学生の頃からです。父親が地元の北海道新聞を読んでも世の中のことはわからないと言い、毎日小学生新聞を購読させてくれました。新聞を読む面白さを知りました。

小学生新聞で育ち、大学も新聞研で選ぶ

 中高校生の頃は微積分や天文学が好きな理系でしたが、最終的に大学を選んだ理由はその大学に新聞研究所があったから。入学してすぐに新聞研の講座申し込みに向かったら、窓口の担当者から「2年生から受講できますから、あと1年待ってください」と言われた時の衝撃は今でも鮮明です。

 新聞研では、江戸時代の瓦版、明治、大正、昭和と時代を経ながら、変遷する新聞記事を学びます。先輩記者の視点と闘いぶりに刺激を受けましたが、優れた記事を書けば、新聞の部数は増え、経営基盤も盤石になる。そう単純に考えていました。

 しかし、新聞史の講座を担当した先生は「新聞経営を支えるのは、読者を増やす編集方針、新聞部数を増やす販売、そして新聞媒体を収益化する広告の3点セット」と説明します。世間を知らない学生の目から見れば、新聞記者になれば、販売部数や広告営業なんて関係ないと信じていましたから、聞き流したものです。

 幸運にも新聞社に入社し、興味のあるテーマを追いかけ、記事を書く生活を満喫することができました。当時、駅売りの新聞は、特ダネなど反響が大きい記事が掲載されるとすぐに売り切れとなります。自分が書いた特ダネや企画記事が掲載された時は駅販売店キオスクの店先を見て小躍りし、満員電車の車内で記事を読んでいる人を見かけると「俺が書きました」と囁きたくなったものです。

新聞・テレビ全盛期を経験したが・・・

 幸運にもというべきか、1980年代は新聞・テレビが独り勝ちしていた全盛期でした。1990年代に入り、魔法のようなインターネットが目の前に現れ、デジタル技術を使ったメディアが誕生します。新聞、テレビからずっと後方に位置していましたが、距離が縮まり、いつの間にか並走し、追い抜いていきます。長年、企業取材を経験していましたから、産業の栄枯盛衰は当然。メディアの世代交代は覚悟していましたし、現在の新聞・テレビの衰退にも失望感はありません。

 しかし、新聞・テレビのコンテンツが予想以上に早く変質したことには驚きました。大学の新聞研の授業で先生が強調し、肝に銘じろと諭した「記事」と「広告」の境目が消えてしまいそうな怖さを覚えます。一言で例えれば、「ジャパネット」の新たなバージョンアップを見る日々です。当初は通信販売の番組と捉えていましたが、番組制作が巧みになり、商品の説明やメリットそのものがエンターテインメントとなってきました。通販広告が通常のテレビ番組と遜色ないコンテンツとして視聴者が理解し、受け入れられます。

記事・番組と広告の境目が消える

 テレビのバラエティ番組はすでに広告との境目を失い、大手スーパーなどの店内を歩き回り、商品を品定めして「うまい!」「安い!」が連呼されます。社員が薦める商品が最良のヒット商品であるかのように紹介されます。スーパーや家具店の社員は自社の店舗の売り上げを伸ばすのが仕事。にもかかわらず、消費者が選択する際に必要な客観的な情報として登場します。

 1970年代に米国などでは番組コンテンツに出演する俳優が同じ時間帯の広告に出演できないというガイドラインがありました。好きな番組に登場する俳優が視聴者に商品を推薦するのは御法度でした。今はそんなガイドライン、もう微塵も見当たりません。番組スタイルと同じ手法で広告を制作し、視聴者は番組コンテンツなのか広告なのか迷う事例もよく見かけるようになりました。番組と広告の一体化が加速しているようです。

 新聞の場合、記事体広告というものがありました。記者が書く編集記事と同じスタイルで広告を制作するものです。今はどうかわかりませんが、新聞記事は信頼できるという前提の下、広告を編集記事と見た目同じに制作すれば、広告の信憑性も高められるというわけです。

 ところが、新聞のデジタル化は、記事体広告などという境目を一掃します。新聞社のホームページは記事の合間に電子広告がどんどん掲載され、記事と広告の違いがわかりにくコンテンツが増えてきます。新聞記者が書いた記事でも、広告として掲載する事例もあります。

メディアそのものが広告になる?

 大学の新聞研で勉強していた1970年代、 サブリミナル手法を使ったマーケティングが注目を集めていました。テレビのコンテンツ映像に一瞬だけ商品やサービスの映像を加える手法です。視聴者は広告を見たと意識していなくても、サブリミナル、つまり潜在意識に植え付けるマーケティングです。番組コンテンツと広告の境目がはっきりと意識された当時ですから、潜在意識に刺激を与える発想が生まれました。

 現在のメディアにサブリミナル手法はもう不要です。潜在意識よりもっと視聴者の意識に直接訴えるため、ダイレクトにコンテンツと広告の境目を破壊しなければ生き残れない。そんな悲壮感を覚えます。背景には広告がデジタルメディアに食われ、新聞・テレビが窮地に追い込まれている現況があります。背に腹はかえられぬ。新聞もテレビも霞を食って生きていけるわけではありません。十分にわかっています。メディアそのものが広告に?、メディアがジャパネットになる日が近づいているのでしょうか。

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