名経営者が遺す警鐘「あの頃の日本は凄かった」と追想する今の日本
稲盛和夫さんがお亡くなりにました。ご冥福をお祈りします。そして、ありがとうございました。
1959年に京セラを創業し、「アメーバ経営」に代表される経営哲学を唱え、京セラを世界的な電子部品メーカーに育て上げるとともに、第二電電(現在のKDDI)による電気通信事業への進出、経営破綻した日本航空の再建などに尽力しました。多くのメディアや先輩らが経営者、人間としての素晴らしさを語っています。改めて触れる必要も力もありません。ここでは稲盛さんら名経営者が鏡となって映し出す現在の日本の経営者像について考えてみます。
稲盛さんは経営者を評価する座標軸
40年間、企業経営者を取材してきました。稲盛さんはいつも日本の経営者を理解する座標軸の1人でした。経営者の評価軸をXYZの3次元で設定した場合、今お会いしている経営者はどこに位置づけられるのか。経営手腕が優れているかどうかを測る目的ではありません。素晴らしい経営者でも時の運不運によって会社の業績は左右されます。それよりも人間の個性、経営の個性、より具体的にいえば有言実行か有限不実行か、夜の遊びも含めた器量の大きさなど経営者としての潜在力を因数分解することがあります。その解を整理する時に稲盛さんの言動、業績がとても参考になりました。
とても些細ですが、すぐに思い浮かべるエピソードがあります。1983年ごろ、ペットフード会社を創業した社長さんとお会いしました。新製品の缶詰を次々と開けて「ほら、人間でもおいしく食べられるペットフードですよ」とおいしそうに食べます。私はほぼ同じころに生まれた同い歳の愛犬と一緒に同じご飯を食べて育ってきたので、ペットフードを人間が食べることに驚きせん。あまりの売り込み迫力と熱さを忘れられません。
その社長さん、「実は京セラの創業時から稲盛さんと一緒に働いたのです」と教えてくれました。同じ鹿児島出身の縁で誘われ、「徹夜を繰り返し狂ったように働く毎日。耐えられなくて辞めました」と苦笑します。「今の京セラを知っていたら我慢していたらと思うかもしれませんが、あの稲盛さんとは一緒には無理」と全く後悔していない様子でした。
モーレツ企業の京セラから新規分野に挑戦
当時の京セラは創業時の社名京都セラミックスから変更し、ヤシカなど企業買収を始め、新たな拡大路線に走り始めていました。第二電電企画を設立して通信など新規分野に進出、電子部品の枠を超えて「どんな会社になるのだろうか」と恐々見ていたのを覚えています。稲盛さんは経営哲学としてアメーバ経営を掲げ、「株主より従業員が一番」と公言。現場のやる気を引き出し、そこから新たに生まれるエネルギーを事業拡大につなげているようでした。しかし、京セラ関連で取材すると、枕詞のように「京セラは狂セラ」と言われ、目標達成に向かって突っ走るのみ。今で言うブラック企業と重なります。
日本航空の再建成功も数多い功績のひとつに数えられます。日航をよく取材していた頃はまさにバブル経済真っ最中。上昇気流に乗って国内外の路線網を拡大し、ホテルやリゾートにも積極投資した時でした。経営破綻で急降下した過程ももちろん知っています。背景には、経営判断した会社がすべての責務を負うのが当然ですが、政府や政治家を巻き込んだ航空行政の混乱は見逃せません。日本航空社内が派閥抗争を繰り返し、経営はズタズタ。ライバルで苦境に陥っていた全日空がまともな会社に見えるほどでした。
稲盛さんが日航再建を任されたのは当時の民主党政権。航空など運輸・交通行政は長年、自民党ががっちりと掌握していだけに、民主党政権時に政争や利権争いから離れて日航再建に取り組めたのが成功の主因でしょう。自民党政権に戻ってからの日航いじめ、稲盛批判は醜かったです。それだけでも利権などを奪われた悔しさが炙り出てきます。わかっていながら、火中の栗を拾う度量の凄さに感服せざるを得ません。
企業経営の手腕だけではありません。若手経営者を育成する「盛和塾」を開き、国内外の塾員は15000人を数えます。豊富な財力を背景に世界的な功績を挙げた人物を表彰する「京都賞」も創設しています。狂セラと呼ばれようが、人脈、情報ネットワークの広さは他を圧倒します。個人的に興味があったのは京都の祇園情報。「誰が誰それと会った」などの情報が毎日、稲盛さんに伝わっていたと聞きます。その真偽はわかりませんが、噂が真実として広がるほど昼も夜も多くの情報が集まっていたのでしょう。人間力の凄みを教えてもらいました。
シリコンバレーのコピペ経営者はいらない
日本は第二次大戦後、多くの世界企業を生み出しています。創業経営者として松下幸之助、本田宗一郎、井深大、盛田昭夫、そして稲盛和夫と続きます。まだまだ多くいらっしゃいます。しかし、世界に衝撃を与える経営者の登場が減っている気がします。
「日本で注目しているのは孫正義だけ」。米国の経済メディアのプロデューサーの指摘が脳裏から消えません。。自動車やエレクトロニクスなど製造業に愛着を持っていただけに、孫さんの名前しか浮かばない現実に驚きました。「日本のディスラプターは彼しかいない」。日本は世界の常識を打ち破る事業モデルを構築していないと言います。「ユニクロの柳井正さんはどう」と返すと、欧米の小売モデルを進化させただけと答えます。
かつてソニー、ホンダはディスラプターでした。でも、今は成熟した会社です。その後も日本発の世界企業は続きますが、優良企業であっても世界の企業が経営モデルを学ぼうという会社が見当たらないのかもしれません。むしろ、日本を代表する経営者は今、後継問題ばかりが注目されています。ユニクロの柳井さん、日本電産の永守重信さんは七転八倒しています。柳井さん、永守さんお二人とも事実上ゼロからスタートして世界のライバルを圧倒する勢いです。唯一、目の前に立ちはだかるのが後継者問題です。次代を引き継ぐ後継者の選択は最も難しい経営戦略です。松下電器、本田技研、ソニーも過去いろいろありました。京セラの稲盛さんは65歳で身を引き、後継者問題で明確に道筋を引きました。
今、稲盛さんら昭和に誕生した名経営者から何を学ぶべきでしょうか。「自分たちに続く経営者が何人いるのか」。誰が世界のモデルとなる事業や経営を創造しているのか、と問われている気がします。
世界一になることが全てとは思いませんが、シリコンバレーの若者のように「世界を変える」と雄叫びする蛮勇を持つ起業家が見当たりません。政府はシリコンバレーに5年間で1000人派遣して起業家を育成する政策を打ち出していますが、シリコンバレーのコピペはもう結構です。
八方塞がりの日本を打破する経営者を待望
日本が必要とする経営者は、八方塞がりの今を打破する地力と体力を持つ起業家です。第二の松下幸之助、本田宗一郎、井深大、盛田昭夫、稲盛和夫ではありません。シリコンバレーが見習いたい日本の事業創造、経営者創造がなければ、未来の日本は再び衰退の道を歩む。稲盛さんらが鳴らし続ける警鐘を聴き逃してはいけないと思います。