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ダイソー矢野さんは月光仮面 正体不明の奇想経営者は最強100円ショップを世界に

 矢野さんは月光仮面だったのかもしれません。月光仮面?ずいぶん古い昭和のヒーローを持ち出すと思いますか?でも、この表現しか思いつきません。その正体は不明。でも、誰も思いつかない「100円ショップ」という奇想の小売り業態を創造し、日本国内でも海外でも勝負できる強さを創り上げました。もちろん、消費者にとって100円あれば何でも買える「正義の味方」。一見、昭和の駄菓子屋さんの商売に見えますが、世界最先端のビジネスノウハウが詰め込まれています。やっぱりスーパーヒーロー!

「苦労話はみんな嘘」と親友は語る

「いやあ、矢野が言っていることは、みんな嘘なんだよ」。2000年代初め、広島県を地盤とするもみじ銀行の幹部とお酒を酌み交わしていたら、意外な言葉が飛び出してきました。すぐ隣には矢野さんが座ってニコニコ笑っています。100円ショップ「ダイソー」をチェーン展開する大創産業の創業者、矢野博丈さんです。

 もみじ銀行の幹部と矢野さんは幼い頃からの親友で、繰り返し事業に失敗しながらも新事業に挑む矢野さんを支えてきました。2人の会話を聞いていると、「銀行の融資基準ってあったの?」と疑問に思うほど親密に支援していました。当時のダイソーは全国展開が軌道に乗り、台湾へ海外1号店を開店したころ。日本で極めたビジネスモデルを使い、海外に挑み始めていました。融資基準などに縛られない親密な支援は見事に矢野さんにも銀行にも大成功をもたらしていました。

 矢野さんがダイソーで成功を収めるまでの苦労話は有名です。中国・北京で生まれ、敗戦後に日本へ戻り貧しい生活の中で大学へ進学。その後も借金、夜逃げ、事業の失敗などを重ね、自分自身には「事業運がない」「すぐに潰れる」とぼやくのが口癖でした。100円ショップ「ダイソー」に至るまでの失敗の連続を新聞や雑誌などで面白おかしく語り、すべてが矢野さんの神話となっていました。

 しかし、私の目の前に座る矢野さんの親友は笑いながら、教えてくれます。「確かにとても苦労したが、医者のお父さんはじめ兄弟が資金面で援助するなど多くの人が支え続けたから今がある。本人は事業に失敗したと話すけれど、あれは本人が面倒になって放り投げただけ。好き勝手、やりたい放題だった」。隣に座る矢野さんは、笑うだけで全く否定しませんが、目はその通りと頷いています。

ダイソーには精緻なサプライチェーンが不可欠

 成功までの経緯の真相はわかりません。ただ、ダイソーの事業モデルは精緻な事業計画の構築がなければ成立しないのは真実です。描いた計画通りに実行できる経営力があったからこそ、ダイソーが飛翔できたのも真実です。

 例えば「100円ショップ」の由来。トラック販売を始めた頃、忙しくて値札が間に合わず「お客さんから値段を聞かれ、100円と答えたのがきっかけ」と矢野さんは説明します。当初はその場しのぎで始めたとしても、あれだけ大量の商品を継続して100円で販売するには「その場しのぎ」の域では実現できません。

 売れ筋をチェックしながらお客さんが欲しい商品の新たなニーズを正確に捉え、100円の価格で収まる生産コストで納入できるメーカー、卸と組む広範なネットワークが不可欠です。「100円なら買ってみようか」と思わせ、「100円でこの品質なら、また買おう」と誘い込む。限られた店頭に新製品を投入して頻繁に商品構成を入れ替える経験とノウハウを蓄え、実践する多くの人材を育て、商品を供給する取引先を組織化したからこそ今のダイソーがあります。

 今風の言葉で言えば、ダイソーを頂点としたサプライチェーン、バリューチェーンです。その一翼を担ったのがスルガ(現レック)です。生活用品など多種多様な商品を日本国内や中国など海外で生産・供給しており、ダイソー以外の100円ショップ店にも納入しています。多品種少量で徹底してコストを抑える。スルガが飛び越えたハードルは高く、他社はなかなか乗り越えられません。

いい加減さのアピールは自信の裏返し

 ご本人は「戦略などない」「仕方がなくやっている」と自らの経営を評します。ところが、広島県東広島市の本社を訪ね、業務部門を説明を聞いてびっくり。とても簡素な経営システムを構築しており、誰もがすぐに使いこなせるように設計されています。「よくわからないから、簡単にしてもらった」と矢野さんは話しましたが、膨大な商品量を受発注し、日々の売り上げ明細などを数値化する現場を見て、ダイソーの経営の神髄をようやく理解しました。

 矢野さんの「いい加減さ」のアピールは独創的な小売業の創業者でよく見かける自虐ギャグです。自ら創り上げた事業モデルを過小評価させるつもりはないはず。むしろ、成長軌道に乗った事業を創業した自らの奢りを戒めるとともに、ダイソーを真似して新規参入するライバルへのけん制も込められていたはずです。「私みたいな努力ができるか?」と問いかけるのです。最近ではニトリの創業者、似鳥昭雄さんとその姿が重なります。

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 矢野博丈さんは2024年2月12日にお亡くなりになりました。80歳。その胸の内はまったくわかりませんでしたが、成功する企業の陰には多くの支援があり、一緒に手を携える度量と決断力が必要であることを教えていただきました。ありがとうございます。ご冥福をお祈りいたします。

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