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JurassicWorldとゴジラ 日本はロボットも擬人化と孤高 アバターも ?

 映画「ジュラシック・ワールド/新たなる支配者」を見てきました。「ジュラシック・パーク」シリーズと合わせ過去5作品あり、今回が完結編だそうです。ゴジラ誕生の翌年に生まれた昭和世代です。もともと恐竜好きでゴジラとモスラとともに育ちました。そのおかげかどうか、家族もゴジラを大好きになり、このシリーズも家族とともにすべて見ています。

恐竜のキャラが日米で違います

 映画の味付けは毎回、日米の差を感じざるを得ません。今回も途中、映画「アバター」の雰囲気になったり「インディ・ジョーンズ」になったり。映画館が米国ロサンゼルスにあるテーマパーク「ユニバーサルスタジオ」に移ったのかなと勘違いしたことも。最後は2021年の「ゴジラvsコング」とほぼ同じ終わり方になったのには・・・・。製作費にすごい投資しているのにこの終わり方かと呆気に取られました。映画最後の字幕でユニバーサルスタジオ・パーク・アンド・スタジオで終わったのが全てを物語っているのでしょう。

 本題に入ります。今回も恐竜の再現や向き合い方に日米で大きく違うことを痛感しました。ジュラシック・ワールドは学術的な恐竜研究に従い、微に入り細に入り再現するよう努力しています。手作り、デジタル、VFXなど技術を総動員して映画を通じて臨場感を体験できるようになっています。映画制作に投入する金額が日本と桁違いです。米国だからできる芸当でしょう。

ゴジラ、モスラ、ガメラには親近感が

 これに対して日本は恐竜そのものの再現よりも、外観の姿も含めて思い入れの強さを覚えます。ゴジラ、モスラ、ガメラなどに自分たちと近い何かを感じ、彼らなりの考えを想像します。とても親近感を覚えます。今回のジュラシック・ワールドでも主人公と親しいヴィロキラプトルの親子と心を通じ合うシーンが何回か登場しますが、出演する恐竜のほとんどは本能?に従って行動します。他の恐竜を見たら吼えて威嚇し、必要なら襲いかかります。恐竜は化石として確認されているだけですから、それらの行動が本能なのか、実際通りに再現しているどうかは疑問ですが。

 日本のゴジラは1954年に初登場し、その誕生には米国によるビキニ環礁での水爆実験が由来しています。存在そのものが世界に対する問題提起ですし、相対するのは人間社会であり、破壊するのは都市のインフラです。でもゴジラの子供、ミニラは人間の赤ちゃんと同じように演出されています。モスラが東京タワーで繭を作り、蛾に羽化して飛び立つシーンは強く記憶に残っています。もちろんザ・ピーナッツが「モスラ〜ヤッ!」と歌うはシーンは今でも目に焼き付いていますが、いわゆる怪獣が人間社会との接点を求めているように思えました。

川北さんの事務所は我が家と同じ雰囲気

 もう10年前ぐらいですか。特撮監督で知られた川北紘一さんに会いました。ゴジラやウルトラマンなど数多くの作品で特撮技術と演出で活躍した方です。事務所を訪ねてびっくり。私の自宅の部屋と同じ空気が流れていました。家族がゴジラやガメラを数多く集めており、所狭しと並んでいます。それぞれのポーズには意味があるので、少しでも動かすと後で元に戻っています。川北さんの事務所も至る所にゴジラなどが一緒に仕事をしており、「これは貴重ですよ」と笑いながら紹介してくれました。

 川北さんは日本で特撮映画がなかなか製作できない状況をとても残念と語っていました。投資や著作権などの問題が壁になっていたようですが、ゴジラやウルトラマンなど特撮にかける熱い思いをお話ししていたのを鮮明に覚えています。

 それだけに「ゴジラvsコング」でただ殴り合うだけのシーンなどの演出を見た時は目を背けたくなりました。キングコングの第一作では「あんなに人間愛を語っていたのに・・・」と残念です。もっとも、日本も2016年の「シン・ゴジラ」の作品も最近の米国特撮映画と接近している印象ですから、恐竜の擬人化などと思うのは昭和の感傷に違いないのでしょう。

日本の英雄は孤高なのかも

 擬人化のほかに感じたのは「孤高」です。ジュラシック・ワールドで恐竜たちは群れを中心に描かれます。ところがゴジラはあくまでも独り、孤高のまま行動します。日本のキャラクター作りは群衆よりも孤高を好むのでしょうか。宮本武蔵ら日本の剣豪は孤高を尊ぶからでしょうか。細い木の枝に立ち、獲物を狙う一羽のカワセミの絵図が有名ですが、強者は孤高なのでしょう。

 そういえば日本のロボット研究は人型、あるいは擬人化がメインです。大学研究室でもそうですし、ホンダの「アシモ」、ソニーの「アイボ」も基本は独りです。米国のロボット研究は当初、メカ剥き出しのマシンそのものでしたが最近になって人型に軸を移しています。アニメもみても、ドラゴンボールは究極の強さを求めますが、ミッキーマウス、トイストーリー、ミニオンらは仲間を中心に描かれます。日本人にとって際立ったキャラクターを創ろうと考えた場合、擬人化、孤高がキーワードなのでしょう。

メタバースの世界でも日本のキャラが活躍して

 これからメタバースの世界が当たり前になると噂されています。その世界はそれぞれ分身であるアバターが動き回ります。日本のキャラクター創りは欧米と違っているのですから、どんなアバターが誕生するのか。メタバースでもゴジラやドラゴンボールなどのように世界で通用するキャラクターが活躍してほしいです。

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