モビリティの時代 車は消え、産業も消え、そこから生まれる未来にクルマはいない
東京で開幕したジャパンモビリティ・ショーを見学してきました。東京モーターショーは発展的に解消され、「乗りたい、未来を探しにいこう!」をテーマに衣替えしました。参加企業も自動車メーカーのみならず多くのベンチャー企業などが増え、ショーの趣旨も来場するモーターファン、家族連れの皆さんも加わって「モビリティの未来」を考え、次代に向けた手掛かりを探そうと呼びかけています。自動車という固定観念に縛られず自由な発想で移動する楽しみを考えたい。ショーのタイトルに自動車を意味するモーターを使わず、モビリティに切り換えた自動車工業会の思いが伝わってきます。
モーターショーが懐かしい思いも
もっとも、60年も前の小学生の頃、初めてモーターショーを訪れた人間にはちょっと寂しい。米国で人気の「フォード・マスタング」を目の当たりにした時の感動は今も新鮮です。その後も40年間、取材も兼ねて世界のモーターショーを見て回ってきました。今回のショーには驚きと違和感を何度も覚えましたが、いずれも年寄りのやっかみに過ぎません。せっかくの機会ですから、いろいろな視点から「移動の未来」を考え、連載企画として綴ってみます。
展示場を2、3周して覚えた感想は「自動車産業」の消滅。あるいは消失に向かっているとの確信でした。もちろん、ショーには多くの自動車が展示され、消滅などはしていません。記者会見に登壇する自動車メーカーの社長は口々に「カーボニュートラル」を唱え、地球温暖化を防ぐ答の一つとされる電気自動車(EV)への加速を強調します。スペシャルティーカーへの熱い想いを語るメーカーもありました。
スバルが「空を飛ぶ」
しかし、そこには過去100年以上も積み上げてきた自動車の歴史にサヨナラを告げ、新たな歴史を描くしかないという覚悟の表明がほとんどです。自動車メーカーの社長の表情には作り笑いが多く、楽しそうに語る場面はほとんどありません。今の時勢、こう言わざるを得ないとの諦めすら伺えます。
スバルがわかりやすい例かもしれません。米国で高い人気を誇るスバル・ブランドを支えてきたのは、水平対向エンジンと4WD(四輪駆動)から生まれる安定した高水準の走りです。しかし、その最強ブランドの根源であるエンジンを捨てざるを得ない時代に直面しています。
スバルがモビリティショーの記者会見で最後のトリとして華々しく登場させたのは「空飛ぶスバル」でした。戦前の中島飛行機から生まれたスバルは、航空機部門も持っています。ビジネスジェットの事業化成功したホンダが展示ブースでEVの他に航空機をアピールしていましたが、スバルは一気に地上から空に向けて大転身する気概を示しました。開発の度合い、実用性がどこまで進んでいるのかはわかりません。ただ、生真面目をそのまま体現し、派手な演出など無縁だったスバルが「空飛ぶモビリティ」を披露した場面では、明るい未来よりも「そこまで追い込まれたのか、スバル」を感じ、鳥肌が立ちました。
移動手段としてのガジェットに
自動車からモビリティへーーショーが掲げるテーマは、自動車メーカーとしての決別です。ハンドルを握ってブンブンとエンジンを噴き鳴らして走り回る「おもちゃ」として生き続けるのはわずかなマニアの間だけ。これからは移動手段としての「ガジェット」へ転身するのです。
過去100年以上も主役だったエンジンやシャーシーなどは3〜5万点の部品で構成され、巨大な産業ピラミッドを生み出しました。しかし、EVを軸にした自動運転のモビリティは電気モーター、バッテリー、インターネットや人工知能で動く機械になります。産業ピラミッドは崩壊し、産業という枠組みで語られていた自動車、電機、情報技術は一体化。自動車も産業も、その定義は無意味になります。
今回のモビリティショーにはテスラ、現代自動車などEVに邁進するメーカーが参加していません。ドイツのVWも姿が見えません。主催者の自工会の熱い思いに囚われずに冷静に眺めれば、世界から出遅れ、ようやく重い腰を上げてモビリティへの道を模索し始めた日本に強い関心を持っていない証左としか思えません。
モビリティーショーでは未来の自動車社会を映像化した短い動画を披露しています。完全自動運転したモビリティが道路を走り、上空には「空飛ぶタクシー」などが舞っています。車内は向かい合わせの席に座った家族や友人が楽しい時間を過ごしています。自動運転にせず自らハンドルを握って、走りそのものを楽しむドライバーもいます。動画の最後にはゴジラが登場、街を破壊し、大災害が発生します。消火するドローンが飛び交い、火災は消され、大停電に襲われた都市は、EVが搭載するバッテリーを電源に電灯が戻り、都市生活は元に。
車に熱狂する時代は終わり
遠からず実現する社会でしょう。でも、最後のオチが災害復旧に欠かせないエネルギー源としてのEVとは・・・。もう、かつてのように車そのものに熱狂する時代は終わりとの暗示に映りました。