坂本幸雄さん、半導体の未来を一瞬手に、早過ぎた世界標準の経営者
日の丸半導体のラピダスがAI(人工知能)向け半導体を開発する米テンストレントから受託生産を受注しました。記者会見の時、ラピダスの小池淳義社長、テンストレントのジム・ケラーCEOが共に同じ言葉を使いました。「スピード」。ものすごい勢いで進化するAIの世界に取り残されないためには、状況の変化を見極めて経営判断するスピードが最も重要と強調します。
半導体はスピード
半導体の進化は日進月歩どころか秒進分歩。開発でライバルに1ヶ月でも遅れを取ったら、絶命寸前。取り戻すために巨額資金と時間が必要です。わずかな判断ミスは大きなハンディキャップを招くのです。
そのラピダスが目標とする世界最大の半導体メーカー、台湾TSMCのスピード感はさすがです。2月に熊本の第1工場を開所式を開き、年内に操業開始する予定ですが、すでに第2工場の建設を決定、第3工場も検討に入っているようです。攻め手を決めたら、矢継ぎ早です。
残念ながら日本の半導体の立ち位置は悲しいほど。ナノ(10億分の1)レベルの競争を繰り広げている今、台湾の背中が見えているかどうか。TSMCの工場にはソニー、デンソーなど日本の有力企業が参加し、日本政府は1兆円を超える助成金を支払います。TSMCの熊本工場は日の丸プロジェクトになってしまいました。
素早い経営判断、台湾・半導体メーカーとの協業。この2つのキーワードを満たす経営者が日本に居なかったのか。そんなことはありません。坂本幸雄さんがいました。1970年にテキサス・インスツルメンツの日本法人に入社して以降、日本の半導体業界の栄光と衰退を体現した人物です。
坂本さんは一瞬、サムスンを抜き去る
出色、あるいは異色。どちらの表現も当てはまる経営者でした。自己紹介はいつもお約束通り。「日本体育大学を卒業し、テキサス・インスツルメンツ入社後、最初の配属は倉庫番」と自虐ネタで笑いを取ります。1980年代、世界のメモリー市場の過半を握っていた日本の半導体メーカーは有名大学のエリートが占めていました。「日体大、倉庫番」を経てトップの地位に上り詰めた自分は、エリートが率いる日本の半導体メーカートップとは違うのだと自負していました。
2002年からは日立製作所、NEC、三菱電機の半導体メモリー事業を統合したエルピーダメモリの社長に就任。エルピーダは半導体大手3社の寄り合い所帯で、黒字化は難しいと言われていましたが、短期間で赤字脱却を成し遂げます。米マイクロンとの提携などでサムスン対抗軸を形成するなど国際戦略も長けていました。
経営スタイルは単純明快。巨額投資に躊躇い、タイミングを失した大手に倣わず、必要な投資はためらわずに決断する。高微細加工技術の研究開発ではサムスン電子を抜き去り、「最先端の半導体で世界でトップに立った」と将来戦略に自信を深めていました。しかし、「生産投資に回す資金が足りない」。いつも口にするセリフでした。
勝つためなら、恥は厭わない
最後はサムスンの資金力に圧倒され、エルピーダは2012年に会社更生法を申請し、終幕を迎えました。ただ、坂本さんは最後までサムスン電子を打ち負かす方策を訴え、「投資競争に耐えるため1円でも欲しい」と多くの人に呼びかける姿を間近に見て、感動したものです。恥なんて全然気にしない。エルピーダがサムスンに勝つなら、なんでもやると体全体で訴えていました。
受託生産に特化した台湾の半導体メーカーとの深い関係を不安視する向きもありました。しかし、現在、日本の政府が台湾のTSMCやマイクロンに巨額の助成金を支払い、日本の半導体の再興に努力していることを考えたら、坂本さんは極めて慧眼だったといえるかもしれません。日本の半導体産業、そして産業政策はエルピーダを潰した後、坂本さんの戦略を横目に遠回りしただけだった気がします。
今こそ坂本さんの破壊力が必要
TSMC、NVIDIAなど世界の半導体産業をリードする企業経営者を見ていると、日本の半導体企業の経営者は物足りない。技術や知識は上回っていても、大きく飛躍する直観力と勇気が感じられない。常識に縛られず、正解に向けて突っ走る迫力がない。目立つのはお金を持っている孫正義さんだけです。
坂本さんは周囲の目など気にせず、必要なことはすぐに実行する破壊力を持っていました。変革するスピード感を失った日本にとっては、早すぎた世界標準の経営者だったのでしょう。
坂本幸雄さんは2月14日、心筋梗塞でお亡くなりになりました。76歳。正直、悔しい。もっと日本の半導体産業を驚かすことを成し遂げて欲しかったです。