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インド製スズキが輸入車販売第1位「慧眼・鈴木修のマルチ戦略」を証明

「インドの市場は小さいけれど、この国で第1位になれば、スズキは米国のGMと同じ存在になる」。40年以上も前、スズキの鈴木修社長は全社員にインドに挑戦する熱い思いを伝えました。GMと資本提携していたスズキの鈴木社長は「GMは鯨、スズキは蚊」と得意の自虐ネタを披露していましたが、本音は「鯨に飲み込まれずに、高く舞い上がる」。インドの未来を確信して日本に次ぐ大黒柱に育てる覚悟を決めていました。今、見事にその慧眼は証明されています。

ジムニーノマドは受注停止するほどの大人気

 2025年4月、インドで生産したスズキ車が初めて輸入車販売で第1位に輝きました。日本自動車輸入組合によると、販売台数は3990台、前年同月比で83倍も増えています。販売する車種は「フロンクス」と「ジムニーノマド」。「フロンクス」は24年10月に発売、「ジムニーノマド」は25年4月から加わりました。両車ともエンジン排気量1500CCの小型SUVとして高い人気を集めており、とりわけ「ジムニーノマド」は先行予約を開始した1月30日からわずか4日で5万台を受注、新規受付を中止しているほどです。

 ジムニーはすでに軽「ジムニー」と1500CC「ジムニーシエラ」が発売されていますが、いずれも3ドア。もともと、角張った質実剛健のデザインに荒地も苦にしない優れた走行性能が高く評価され、注文しても納期が遅いクルマとして知られていました。「ジムニーノマド」は多人数の家族でも使い勝手が良い5ドア車としてインドで発売されており、日本でも発売してほしいというファンの声が広がっていました。当面、インド製スズキ車が輸入車販売ランキングの上位を占め続けるでしょう。

 輸入車といえば、欧州高級車が名を連ねるのが常識でした。4月も2位以下はメルセデス・ベンツ、BMW、VW、アウディなど常連が名を連ねますが、そこに軽や小型車が代名詞のスズキが割って入り、第1位に駆け上がりました。輸入車販売シェアも一気に16・6%。快挙です!。

1981年にインド政府と合弁

 生産はインドのマルチ・スズキ・インディア。前身はスズキが1981年にインド政府と設立した合弁会社「マルチ・ウドヨグ」。当時、インドを旅行したことがありますが、走っている車は大半が自転車、二輪車に人力車。四輪車のタクシーは現地資本のタタ。たびたびエンストして立ち往生します。実際に空港に辿り着かず、飛行機に乗り遅れる恐怖も味わっています。

 自動車の発展途上国インドに挑戦するのはかなりの勇気、いや蛮勇に近いものでした。人口は10億人を超え、将来の潜在需要は期待できるものの、インド政府は自国資本を守り、外国資本を排除していました。他の日本車メーカーはインドに目を向けず、外国に一部門戸を開いた中国へ向かっています。当然でしょう。

 ところが、鈴木社長は逆張りに打って出ます。「共産党が支配する中国よりも、民主主義が機能しているインドの方が信用できる」と決断。若い頃、政治家を目指した鈴木社長の本領発揮です。インド政府と密接な関係を築き上げ、タタなどを追い抜いてインド最大の自動車メーカーに発展。新車市場のシェアは過半を超え、めざすインドのGMとなりました。現在は他の外国資本の参入によって競争が激化しているものの、4割のシェアを握っています。

収益の4割はインドが支える

 インドは期待通り、りっぱな大黒柱に育っています。スズキの売上高や営業利益の4割はインドです。販売台数も世界300万台のうち50%以上はインドが占めています。日本で輸入車販売トップの座を占めたということは、世界のどこでも通用する品質と価格競争力を兼ね備えたという証拠です。インドが輸出拠点としてスズキの世界戦略を支えるのです。

 鈴木修さんは毎年、1年間の3分の1近い100日間を海外出張していました。インドに足繁く向かい、工場、販売店、政府などを訪ねて日本のスズキと遜色ない自動車メーカー「マルチ」を育て上げる専念していたのです。

 日本車メーカーが中国市場で手痛い損失を被っている中、1970年代から世界を複眼の視点で見渡す、言い換えればマルチで見通した鈴木修さんの慧眼に脱帽せざるを得ません。

◆ 写真はスズキのHPから引用しました。

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