東芝の耐えられない軽さと重み、会社は誰のものか「存在」と「存続」の違いが企業統治を裸にする
東芝が日本産業パートナーズ(JIP)などファンドや有力企業の連合から示されていた買収提案を選び、経営再建の道を歩むことになりました。2015年に不正経理が発覚して以来、目を覆いたくなるような経営陣の右往左往、あってはいけない利益相反、思わず口が開いてしまう無責任さを見せられ、あの東芝がここまで体たらくするとは想像もできませんでした。改めて「会社は誰ものか」、そして「会社が存在すること」と「会社が存続すること」の違いを考えされられます。
物言う株主からの解放されたけど
東芝は2023年3月23日の取締役会で買収提案の受け入れを正式決議しました。JIPが7月下旬にもTOB(株式公開買い付け)を開始。TOB価格は1株4620円で、買収額は2兆円になるそうです。TOB後は、東芝は株式が市場から失われるのですから、東証の上場は廃止されます。
株式の非公開企業となることで、これまで悩まされていた「物言う株主」である海外ファンドの提案から解放され、自主独立の経営再建に突き進める構図は整いました。買収提案した連合にはJIPはじめ電力、自動車、機械など有力企業が参加しています。そもそも買収提案そのものが東芝が事業として抱える情報技術、原子力発電など電力、産業機械、鉄道といった日本の産業・社会を支えるインフラストラクチャーを海外から守るのが狙いです。とりわけ原発事業は福島第一原発などの廃炉に欠かせず、経済の安全保障の観点からも死守せざるを得ないとみられていました。
再建シナリオはどう描いているのか
ここからです。東芝は海外からの買収を逃れたものの、その後の再建シナリオは描かれているのでしょうか。
まず経営の実権はだれが握るのか。買収提案したファンド・企業連合はJIPのほかオリックス、中部電力、ローム、スズキ、大成建設など20社ほどが参加しています。東芝再建の旗の下に参集したとはいえ、利害はさまざま。当然です、企業経営に損失を与えたら自社の株主から損害賠償請求されます。ヨーイ・ドンでスタートしても、利害の衝突は避けられません。
すぐ目の前には銀行団も待ち構えています。なにしろ三井住友、みずほなど5行は1・4兆円を融資しています。東芝が先行きの収益に自信満々なら良いのですが、世界・日本の経済状況は不透明さを増すばかりです。ただでさえ、景況に左右されやすい事業構造ですから、業績の浮き沈みが繰り返され巨額融資の返済にも不安を除けません。
東芝経営陣は信頼できる?
最も不安視されるのは東芝の経営陣。2015年の不正経理が発覚して以来、社長など経営陣の顔ぶれはちょっと目を離すと変わっています。社長かと思ったら会長になり、再び社長に就任した人もいます。ファンドから転籍した社長が、出身先のファンドと買収交渉するというあり得ない利益相反に手を染めた人もいます。買収交渉の中心人物だった副社長が不正支出で急きょ辞任するいう”事件”もありました。
現在社長の島田太郎さんは2018年にデジタル事業の責任者としてシーメンスから移ってきた人物です。1年前の2022年3月に社長にしています。きっと優秀な能力を備えた人物でしょうが、東芝の事業の幅広さ、名門意識の強さなどを考慮すると東芝を束ね、ワンチームとして率いる経営手腕を兼ね備えているのか。買収するファンド・企業連合、銀行団との交渉もあります。東芝の社長はたいへんです。
会社はなぜ存続する必要があるのか
東芝の買収・再建は「会社はなぜ存続するのか」を問いかけています。従業員やその家族、取引先などを考えれば、会社は倒産してはいけません。東芝に入社した従業員は、他の日本企業を断ってもその将来性を期待して選んできた人です。卓越した技術や知能は、東芝の半導体、コンピューター、電力、鉄道など多くの事業で世界トップクラスの地位にあることで証明されています。会社が存続していれば、目の前の窮地を脱し、新たな未来を切り拓くことができます。
しかし、現在の東芝の立ち位置は、「会社の存在」を死守しただけ。それは従業員のせいではなく、経営の実権を握るファンド・企業連合、銀行団、そして経営者がまず買収を成功させることに目を奪われていたからです。「存在」を確約しても、未来は保証されたわけではありません。
上場は透明性と信頼を保証
しかも、株式上場の舞台から降り、非公開の道を選びました。東証株式市場は、資金調達だけではなく企業経営の価値、透明性を保証する役割を担います。その舞台に立つことは、企業の信頼を保証することです。銀行団がついているので資金面で不安がなくなったとしても、その信頼性の保証を捨てる意味とはなにか。失礼ながらスタートアップしたばかりの企業ならまだしも、東芝ほどの企業規模の上場がその舞台から降りることはもっと議論されなければいけません。
東芝の買収劇は日本の企業統治の課題をさらけ出しました。経営陣のチェック、上場の意味、会社の倒産・再建など1980年代から指摘されてきたにもかかわらず、答えを出せていません。1990年代、バブル経済崩壊後の企業救済は本来なら倒産すべき会社が生き残り、ゾンビ企業を残したという批判があります。
東芝をゾンビに例える気はさらさらありません。ただ、このままでは桜が咲き、春が訪れたにもかかわらず、いまだに寒風にさらされたままの東芝が舞台下で立ち続ける姿を見ることになりそうです。