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トヨタが走った道のりは歴史に

豊田英二さんのコンポン研究所 基本を忘れず利益に浮かれず

1996年にコンポン研究所を創設

その豊田英二さんが96年にコンポン研究所を設立しました。設立時よりだいぶ前に研究所の名称が「こんぽん」という言葉だけが伝わってきたので「この言葉って何ですか」と聞いたら「根本のこんぽん」との答えでした。改めて自分たちの過去、未来を根本から考え直そうという趣旨だそうです。「なんで今さらコンポン?」という根本的な疑問でした。

バブル景気が終焉したといえ、日本の自動車産業は世界でトップクラスの地位を守っていましたし、トヨタ自動車はそのトップにいました。しかも、戦後直後に倒産の危機を味わった経験から他人の力には頼らないという徹底したトヨタモンロー主義を貫き続けていました。正直、自動車メーカーが、そしてトヨタがなんで世の中を根本的に考え直すの?という疑問は残りました。

ここから先は推察です。豊田英二さんは実は経団連の会長の座に就けないかと水面下で動きた時がありました。トヨタのモンロー主義は「三河の田舎者」との陰口を招き、当時の日本の通商政策などは東京・銀座に本社を構える日産自動車が当時の通産省と協議し、自他ともに自動車産業を代表していました。「銀座の通産省」との異名も聞こえたほどです。

しかし、トヨタは米国でのロビイングなど世界各国の政治・経済の裏情報では人材・金額を投じ、通産省よりも早く情報を収集してい。1980年代の日米自動車摩擦の舞台裏をみてもトヨタと通産省の情報時差は感覚的に一週間程度の差があったと記憶します。これは大きな違いです。トヨタを文字通り日本一、世界一の自動車メーカーにしたいという野望はあったと思いますし、日本経済の近未来を読みに読んで一手一手打ち込んでいく厳しい棋士の姿と重なる印象を持ちました。

また、英二さんを支える番頭さんが素晴らしかった。豊田章一郎社長は「おとぼけの章ちゃん」というあだ名がトヨタ社内でウワサされるほど言動にあれ?という話題性がありましたが、その脇を固める番頭さんは花井正八さん、辻源太郎さん、大島彊さんら日本の経営者歴伝で必ず名を連ねる優秀な豪傑がいました。辻さんなんてタオルをぐるぐると丸めて鉢巻きをすればもう八百屋の親父そのものの雰囲気を醸し出しました。

でも、花井さんから連なるトヨタ銀行の異名を得た最強の資金力を作り上げた経理畑の一人でした。トヨタを最強の自動車メーカーに押し上げた奥田碩さんも忘れることはできません。錚々たる実力と見識を持つ人材を束ねた豊田英二さんの経営者力、洞察力は今のトヨタ、日本全ての企業に求められるものと痛感しています。

コンポンから考える勇気が問われる

最近、経済学者の森嶋通夫さんにハマっているのですが著書「なぜ日本は没落するのか」の中で豊田英二さんへの謝辞を見つけました。森嶋さんは1978年にサントリーとトヨタの寄付金10億円でロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに「経済および関連諸科学の研究所」を設立しました。

「私の一生の業績のうちで最大のものは、皮肉にも私の学問的業績でなく、この研究所を創立し発展させたことである」と佐治敬三、豊田英二および豊田章一郎の三氏の名を挙げて感謝しています。袋小路に迷い込んだような日本の未来はSDGsと唱えれば目の前が開けるわけではありません。今、どんな決断力と実行力が求められるのか、コンポンから考え実践する勇気が全ての企業に求められています。

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