佐川急便、U-NEXT 「やったもん勝ち」負の遺産を清算しても、創業者の宿痾から逃れられない(下)
U -NEXTの社名を見ると、どうしても思い出す風景があります。突然、家の近所で始まったケーブル工事です。
1990年代末のある日、突然、工事が始まっていました。NTT?と思ったら、どうも違います。この街界隈はケーブルテレビを利用する家庭が多いので、テレビ用ケーブルを更新しているのか。それも勘違いでした。
大阪有線のケーブルが無断で電柱に
大阪有線放送社でした。この社名は全国の電柱にNTTや電力会社に無断で自社のケーブルを張り巡らす事件を繰り返していましたから、知っていました。ただ、有線放送はBGMやカラオケなど商業施設・店舗で利用する音楽サービス。まさか自宅のそばにまで張り巡らすとは全くは想像していなかったので、「なぜ、あの大阪有線がここに?」と首を傾げたものです。
当時の電柱は、新たなケーブルがどんどん追加されていました。本来ならスッと伸びた柱に見えるはずなのに、遠目にはキノコのように頭部はこんもり。NTTが次代の事業として光ファイバーを使った高速通信ネットワークを加速。他の通信会社や電力会社などが追随した結果、ケーブルや電線もどんどん太く見えてきました。そんなどさくさ紛れに、大阪有線も通信事業に走り始めたのかと勝手に想像したものです。
どう見ても法律違反。無断で他人の電柱に、しかも使用料を払わずにケーブルを張り巡らすなんて!「まるで路線免許を持たないでトラックス輸送する佐川急便と同じだ」と呆れたものです。その後、どのくらいの年月が経たのか忘れましたが、無断で張り巡らした有線を取り外す工事が始まりました。勝手に張って、勝手に取り外す。工事中は道路を塞ぎます。自分の庭のように公道や施設を使う大阪有線がどうして会社として存続できるのか。
縄張り争いのように全国で紛糾
まだWi-Fiが普及していない時代です。通信ネットワークのインフラは電線・ケーブルに頼るしかありませんから、電線をできるだけ広く、きめ細かく張り巡らした方が勝ちです。大阪有線は全国の有線事業会社とも紛糾を起こしており、まるでヤクザの縄張り争いのように見えました。
正直、大阪有線の企業存続はもう終わりかなと思っていたら、2000年に入って有線ブロードネットワークスを見てびっくり。あの大阪有線?社名を変えて映像配信サービスを開始していたのです。元を辿れば、あの大阪有線。社名と事業内容を変えれば禊は済んだのか。
時計の針を戻すと、1998年に大阪有線の創業者、宇野元忠氏は病気で急逝。息子さんの宇野康秀さんが社長に就任しました。それまでは起業家を目指して1988年にリクルートコスモスに入社、翌年には独立して人材派遣会社を設立しています。大阪有線の社長就任後、2000年に有線ブロードネットワークスに社名を変更。さらに電柱の不正使用のままでは電気通信業者の認可が得られないため、電柱のケーブル撤去を進め、電柱事件を清算。2001年に大証ヘラクレスに上場しました。
U -NEXTは負の遺産の清算からスタート
現在はU -NEXTホールディングスの社長である宇野康秀さんは経済誌「プレジデント」電子版の2024年3月21日付で当時の思いを語っています。。
“違法企業”といっても過言ではない状況にありました。有線放送のケーブルを張り巡らせるために、全国の電柱を無断利用していたのです。そのケーブルの長さは、地球3周分。撤去して正常化するためには、500億円の資金が必要でした。また、父の個人債権800億円もあり、USENは大きな負の遺産を背負って始まった会社だったわけです。
有線ブロードネットワークスは電柱事件を清算した後、光ファイバー事業を本格化。2005年には、無料ブロードバンドサービス「GyaO」をスタートし、動画コンテンツ事業にも参入しました。かなり話題になった画期的なサービスで、利用したこともあります。直後にリーマンショックが世界を襲い、宇野さんも子会社を含めて1000億円以上の損失を被り、GyaOの売却も含むグループ事業の整理に追い込まれました。
現在は、映像サービスなどコンテンツ配信、通信・エネルギー、不動産などを多様な事業を抱え、2024年8月期で売上高は3267億5400万円、営業利益は291億1000万円、純利益153億5700万円を計上する企業グループへ発展しています。
負の遺産は清算しても継承する教訓はある
宇野康秀社長は自社のホームページで大阪有線時代を振り返り、「『有線音楽放送』は、電気・水道・ガスと同様、店舗経営にとって重要なインフラと見なされるようになり、全国各地にサービスが広がっていきました。現在の当社グループが展開する多様なビジネスは、全てこの有線音楽放送事業で培った経営資源を基盤としています」と語っています。創業者である父親から負の遺産を継承しただけでなく、大企業の地位を築き上げた事業基盤も引き継いだと明言しています。
にもかかわらず、ホームページの沿革を見る限り、大阪有線社は1964年に創業と記された後は、1998年に宇野康秀、2代目社長に就任と飛んでしまいます。電柱事件の「黒歴史」は全く見当たりません。地獄を見る思いで大阪有線時代の負の遺産の清算に苦労したのですから、企業の歴史として明記し、社員全員が学び、継承する教訓はあるはずです。
未来への警鐘を忘れない
法に触れることがわかっていながら、電柱に無断でケーブルを張り巡らし、事業展開する創業者を誰も止められなかったのはなぜなのか。創業者の一言で会社の生死が決まる怖さを思い知った事件です。その落とし穴は今もあります。U -NEXTを率いる宇野康秀氏、社員全員は未来への警鐘として忘れるわけにはいかないでしょう。