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日本列島改造論のまま

半導体の坂本幸雄を救えなかった日本、新しい資本主義は「日本列島改造論」の重版か

日本最後のDRAM専業の半導体メーカー、エルピーダ・メモリーが経営に行き詰まる半年ほど前、社長の坂本幸雄さんをある講演会に招いた事があります。2011年に入り、すでに経営が自転車操業の状態に陥っているのがわかっていました。ただ、このままエルピーダが終末を迎え、坂本さんの経営が失敗という評価で終わるのが残念でした。坂本さんの経営は日本の経営者の尺度では計れず、理解されにくい個性があります。エリートの匂いはせず、スマートさは見当たりません。いわゆる財閥系の経営美学とはかけ離れたものです。しかし、大胆な発想から切れ味を感じる決断を下し、結果を引き出します。

坂本さんは「資金援助してくれませんか」と真顔で

「この時期に講演なんかしている余裕はない」と即決で断われると覚悟していたのですが、坂本さんからすんなりOKをもらい、予定通り講演先に飛んできてくれました。講演の題は「韓国サムスンに勝つためには」といった趣旨でした。サムスンはもちろん、世界の半導体・スマホで一時代を画すサムスン電子です。1980年代に日本の半導体技術の特許などを利用しながら、日本企業が躊躇する巨額投資を決断して追い上げ、追い抜いていきました。一方で日本メーカーの技術者を多額の費用で積極的にスカウトして開発・生産の技術とノウハウを補充します。スカウトをしないまでも、日本の技術者に多額の技術指導料を支払い、週末に韓国へ招きます。日本の電機メーカーは招致候補なりそうな技術者のパスポートを預かり、週末の韓国詣でをチェックするほどでした。

サムスンの勝利の方程式は明快です。日本が最先端の技術開発でどんなに先行しても、半導体の素材、製造装置を日本から買い、日本製半導体と常に並走し、営業力で日本を追い抜く。素材、装置をゼロから独自に技術開発する費用などを考慮すれば、日本の特許を参考に生産投資した方が追いつくスピードを加速できるうえ、価格競争に追い込めば日本に勝てる。当たり前といえば当たり前の答です。

サムスンの進撃に対抗するためには、サムスンより一歩か二歩先行して技術開発して最先端の製品を供給するしかありません。しかし、日本の半導体メーカーは東芝、日立製作所、三菱電機など総合電機メーカーが主導していたため投資判断に遅れが生じ、サムスンの動きに追いつけなくなります。日本政府は「日の丸プロジェクト」を掲げ、日本製半導体の死守を目指しますが、過去に「日の丸プロジェクト」の成功例を見ないことからわかるように何度も立ち往生してしまいます。この結果、誕生したのが、エルピーダ・メモリーでした。1999年、経済産業省の指導を受けてNECと日立の半導体事業の統合会社として誕生しました。

坂本さんは2002年、エルピーダの社長に就任します。当時、経産省、NEC、日立製作所という大看板でスタートを切ったものの、その後は大企業の統合会社のお約束通り、人事のしがらみなどで経営判断が遅れ、大幅な赤字経営に苦しんでいました。坂本さんは社長就任後、NECや日立からのしがらみを断ち切り、1年後には黒字転換。台湾の資本を取り込み、世界のDRAMメーカーに再浮上させました。エルピーダはナノレベルの高精細加工では世界最高水準を走っていました。しかし、この技術も半年後には追い付かれてしまうと言われていました。サムスンに対抗するためには、投資競争に負けない資金力が必要でした。

坂本さんの講演では、資金力で勝ち目がないなら、国がサムスンに対し半導体の特許使用料を引き上げ、サムスンの収益力を削ぐ政策が必要だと強調しました。しかし、経産省は特許や技術保護の対抗措置を講じない。半導体メーカーは技術開発と生産投資を絶え間なく継続して、僅差の製品力で勝ち続ける宿命にあります。今のエルピーダに不足しているのは資金力。坂本さんは講演の最後にこう呟きました。「エルピーダに出資する人はいませんか?」冗談めかしの口調ではありませんでした。真顔です。

もう10年以上も前の話です。今では誰もが手掛けるクラウドファンディングはありません。しかも、半導体投資は1億円、2億円のレベルではありません。1000億円単位の投資が不可欠です。「無理を承知で頼む」「藁をも掴む」というよりは、坂本さんは日本の半導体メーカーは国には頼れない、民間の皆さんの力で維持するしかないのが日本の現実ということを訴えたかったと私は受け止めました。

エルピーダは2012年2月、東京地裁に会社更生法を申請します。坂本さんの経営手腕について高い評価を集める一方、様々な批判もついて回るのは承知しています。坂本さんは自己紹介の際、必ず加えるエピソードがあります。「日体大を卒業して日本テキサス・インツルメンツに入社したら、言われたのは倉庫番だった」。自分はエリートではないし、半導体の世界の素人からスタートしたのだ。しかし、40歳代で副社長に就任し、いくつかの会社を経て2002年にエルピーダ社長に就任しました。しかし、リーマンショックによる円高などで経営は悪化、経済産業省による産業活力再生法の第1号として公的資金の注入も受けたが、力尽きました。

台湾の受託専門企業に数千億円の補助金

今、日本政府は経済安全保障の柱として半導体産業の再育成に力を入れると表明しています。背景には世界的な半導体不足や中国の半導体など先端産業への育成に対抗する狙いがあります。経済安保の司令塔となる部署を内閣府に新設し、外国企業の買収や投資を審査し、先端半導体の生産企業を支援する法制度も整えます。第一号に台湾のTSMCが熊本県に新設する工場が認定されるようです。TSMCは生産受託を専門戸する世界最大のファンドリー。工場の新設投資は1兆円規模だそうで、補助金は数千億円になるといわれています。岸田首相は半導体の育成を「新しい資本主義」の具体例として説明します。

1980年代から半導体の栄枯盛衰を見てた人間からすれば、悲しい気分になります。米国の半導体メーカーと競い、フラッシュメモリーやSSDなど世界的な製品を開発する技術を持ちながら、過去20年間で世界トップの座から転げ落ちたのが日本です。エルピダをはじめ直近では東芝のキオクシアなど優れた技術と将来性が期待されながら、半導体メーカーの経営を支える実効ある施策を繰り出せなかったのが日本政府です。それが台湾企業に数千億円規模の補助金です。今後、日本企業も認定され、日本全体の産業の底上げにつながる可能性はあります。

産業政策はまだ「日本列島改造論」のまま

とはいえ、政策立案の発想と手法は田中角栄さんがぶち上げた「日本列島改造論」から変わっていません。全国の自治体が企業誘致競争に勝ち抜くため、昭和50年代には工場建設に多額の補助金を支給する施策が蔓延しました。私は石川県で補助金の多寡を競う施策を取材し、多くの記事を書いた経験を持ちます。TSMCへの補助金支給は経済安保の名の下にまるで時計の針を40年近くも逆戻りさせた施策を目にした思いです。岸田首相が掲げる「新しい資本主義」は日本列島改造論の名称変更ですか?

日本政府はこの40年間、先端技術の強化に向けた政策をいくつも打ち出しています。成功例もありますが、頓挫した事例の方が多いでしょう。企業再生と言いながら、政府主導で再生した企業の数はいくつあるのか。再生機構のトップ経験者が今でも企業再生の専門家として政府の会議やマスコミに登場しているのが不思議でたまりません。再生失敗の事例をたくさん知っているからなのでしょうか。1990年代、サムスンと液晶の開発・生産競争でチキンレースを演じたたシャープの技術者は韓国政府の強い影を感じていました。「サムスンの決算は半導体不況の時でも好決算を弾き出す。ところが半導体が好況時に突然、収益が低迷する時期がある。不自然ですよ。韓国政府から何かしらの支援がなければ、あれだけ勝ち続けられませんよ」と。以来、もう30年間過ぎてもサムスンは韓国経済を支える大黒柱であり続けています。

日本の経済安保の論議は米国のバイデン大統領が打ち出した中国政策の転換がきっかけです。中国との軍事的防衛力にまだ格差があるとはいえ、先端技術などの急追撃に脅威を覚え、半導体など先端技術の保護と育成に再び本腰を入れました。半導体をキーワードに見える経済安保は米国や欧州との連携を念頭に日本も追随しなければいけないという姿勢と発想です。日本の半導体産業、最先端技術の産業を過去を教訓に、経済政策を策定しているとは思えません。日本に最先端技術を生み出す余力はあまり残っていない気がします。日本政府や国民が思っているほど残り時間は多くないのです。

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