セブン&アイ買収劇「影の主役」鈴木敏文 小売業を破壊、創造したカリスマは創業家、幹部から怖れられる
実は、主役は鈴木敏文さんではないでしょうか。セブン&アイ・ホールディングスを巡る一連の買収劇を見ていると、その発端は鈴木敏文さんの追放劇から始まったとしか思えません。多くの役者が登場しますが、次々と変わる場面のあちこちに鈴木さんの影が見えます。
日本にコンビニエンスストアを持ち込み、世界の「セブンイレブン」に育て上げた創業者の鈴木敏文さん。商人気質を排して数字と論理で構築した経営は日本の小売業界の常識を打ち破りました。数値に徹する手法は賞賛を集めましたが、あまりの冷徹に怖れも広がっていました。
2016年4月に突然、辞任
表舞台から姿を消したのは突然でした。2016年4月7日、鈴木さんはセブン&アイ・ホールディングス(HD)の会長兼最高経営者(CEO)を辞任すると発表しました。年齢は83歳。高齢といえば高齢ですが、イトーヨーカ堂の創業者・伊藤雅俊さんに代わってセブン&アイの経営の実権を握り、カリスマとして君臨していました。創業家を差し置いて「後継者として息子さんを考えているのではないか」といった憶測が飛び交うほど、セブン&アイの創業家は鈴木家と言われても物申せない空気を占めていたのも事実です。
突然の辞任劇はセブン-イレブン・ジャパンの井阪隆一社長の退任騒動で開幕します。鈴木会長は以前から井阪社長の退任求めており、2日前の4月5日に開催した指名・報酬委員会で井阪社長の退任と新たな人事案を提案。5時間に渡る議論を重ねても結論が出ないため、7日の取締役会で同じ内容の人事案が諮ったところ、賛成7票、反対6票、白票が2。取締役15人の過半の賛成を得ることができず否決されしまい、鈴木会長は辞任を決意したそうです。同日は決算発表でしたが、話題は辞任に集まり、決算数字は吹き飛んでしましました。
辞任決意に至るシナリオはかなりの複雑でした。鈴木会長は記者会見で「世代代わり」という表現を使い、後ろ盾となっていた創業家の支持を失ったことを強調しています。鈴木会長がカリスマ経営者として君臨できたのは、ヨーカ堂創業者の伊藤雅俊さんの厚い信頼が裏付けとしてあったから。
辞任会見では野村証券出身の後藤光男さんら以前から知っている思いがけない人物も加わって失礼ながら魑魅魍魎ともいえる舞台裏が生々しく明かされました。とても長い経緯を要約すると、鈴木会長は創業家の後ろ盾を失ったのです。伊藤雅俊さんは元々、言葉遣いがていねいですが、自身の意図を明確にする物言いはしません。胸の内が読めない経営者として知られていました。
創業家の意向を読めず
正直、「あの鈴木さんでも裏切られたのか」という驚きがありました。伊藤雅俊さんは次男の順朗さんに次代を託したことを明言せず、鈴木さんは従来通り、セブン&アイの経営を全権委任されていると信じていたようです。
ただ、創業家、セブン&アイ幹部の視線で「鈴木敏文」を眺めると、この辞任劇は納得できるかもしれません。セブンイレブンの拡大戦略は徹底した数値管理が原則です。スーパーと違って制約のある店舗面積の効率を極限まで高めるため、商品の売り上げ、アイテム、棚の並べ方など多くの指標で評価。粗利が高い総菜商品の開発、遅れが許されない配送システム、お客と対面する従業員のスキルなど微塵の誤差を見逃さない厳しさが徹底されていました。言い換えれば、セブン&アイの従業員もFC店のスタッフも作業指示をまとめたマニュアル通りに進めることが求められていたのです。
セブンイレブンはダイエーやヨーカ堂、ジャスコ(現イオン)など大手小売業が築き上げたビジネスモデルを根底から否定しています。長年の経験に縛られない、非人間的ともいえる徹底した数値管理を指揮できるのは事実上、鈴木敏文会長しかいない。多くの人がこう理解していました。井阪社長ら長年仕えてきた幹部ですら、鈴木会長から見れば「まだまだの存在」。辞任劇のきっかけである井阪社長の退任提案した理由も、後継者としての資質が足りないと判断したからです。
「資本と経営の分離」が持論
「資本と経営の分離」も長年の持論でした。セブンイレブンという米国で創られた小売りモデルを日本に持ち込み、第三者との契約で店舗網を広げるフランチャイズ方式を選んだ以上、収益を絶対に高めるマーケティングと信頼を堅守しなければいけないとの思いがあったからです。創業家など「資本」の意向によって経営戦略に揺らぎが生じる事態、あるいは誤解をフランチャイズ店に与えるわけにいかない。だからこそ、創業家と経営は分離しなければいけないと考えたそうです。
しかし、創業家から見れば、セブン&アイはどんどん遠い存在に。経営に参画したいと考えても、鈴木会長から疎んじられたら「一介の洋服店からここまで育てた伊藤家の手中から消えてしまうかもしれない」と考えても不思議ではありません。
同じ思いを共有する経営幹部もいました。鈴木会長の考えを理解し実践しても「いつになっても、わかっていない」と断じられる。鈴木会長が辞任する直前に掲げていたネット販売「オムニ7」がわかりやすい例でしょう。2015年11月、鈴木会長と息子の鈴木康弘最高情報責任者(CIO)が立ち上げたプロジェクトで、ヨーカ堂、そごう・西武、ロフトなどの商品をインターネットで注文・購入できるサービスです。 購入した商品は自宅やセブンイレブンで受け取れる仕組みです。
ネット販売は頓挫
アマゾンなどネット通販の拡大に対抗するほか、セブンイレブンに足を運ぶ機会を増やし、店舗の売り上げも底上げる狙いが込められていました。社内から不安視する声が聞こえていましたが、鈴木会長の指示は絶対です。案の定、売り上げは伸びません。3年後の2018年には1兆円に伸ばす計画でしたが、全く手が届かない。鈴木会長が辞任した後も、井阪社長は継続を表明していましたが、2023年に終了しました。
「鈴木敏文」が発する怖れは、その影を追い出すことで安心した人物もいたのでしょう。でも、セブン&アイの経営は安心どころか、不安が増殖していきます。