
「日産はこんなもんじゃない」危機を招いた経営者が吐く迷言が教える無責任と無自覚
「私は寝ていないんだよ」。2000年7月4日、食中毒が発覚した雪印乳業の石川哲郎社長は記者会見で中毒事件を引き起こした原因に対し要領を得ない説明を繰り返し、記者会見を一方的に打ち切りました。それでも食い下がる記者たちに対し捨てゼリフのように放った言葉が「私は寝ていないんだよ」。
この発言は多くの批判を浴び、石川社長は辞任に追い込まれます。その後も雪印乳業は同社製品に対する信頼を回復できず、会社そのものが消滅する結末を迎えます。当時、雪印乳業の食中毒、経営再建に関する取材や記事を編集デスクとして指揮していたこともあって、忘れられないシーンでした。
「私は寝ていなんだよ」を彷彿
「日産はこんなもんじゃない」。あれから25年後、混迷する雪印乳業を彷彿させる発言を聞きました。日産自動車は3月11日、内田誠社長が800億円の最終赤字を計上するなどの経営責任を取って辞任し、後任社長にチーフ・プランニング・オフィサーのイヴァン・エスピノーザ氏が就任することを明らかにしました。
オンライン会見の席上、内田社長は自らの5年間について「拡大路線からの転換や業績不振など日産特有の課題に加え、コロナ禍など新たな課題に次々に直面し、難しい経営のかじ取りを求められた」「この状況でバトンを渡すことになったのは忸怩たる思い」と語り、「新たな経営陣のもと、従業員の力を最大限引き出して、日産を再び成長軌道に戻してくれることを心から願う」と締めました。
巨額赤字の計上、ホンダとの経営統合の白紙など日産を窮地に追い込んだ最高経営責任者の内田社長が「忸怩たる思い」と未練がましく語る姿に驚きと呆然を超える違和感を覚えますが、後任社長の発言にもっと驚きました。
「日産はこんなもんじゃない」。後任社長のエスピノーザ氏は経営再建に向けての意欲を語った時でした。「日産はこんなものではないと心から思っている。そして多くの先輩方の努力を土台とし、世界中の才能溢れる社内チームと緊密に協力して安定性と成長を取り戻したい」。巨額の最終赤字から再起するため、9000人の人員削減や工場閉鎖などで沈滞する社内の空気を変える思いで「日産はこんなもんじゃない」と語ったのでしょう。
「こんな日産」にしたのは誰?
気持ちはわかりますが、やはり呆れます。経営破綻寸前の「こんな日産」に追い込んだのは現在の経営陣。日産が北米や中国で大損を被った最大の理由は新車開発の不手際ですが、エスピノーザ氏は日産の苦境を招いた新車開発の最高責任者です。
なにしろ、2003年に日産入社して以来、メキシコ、タイ、東南アジア、ラテンアメリカなどの地域やグローバル商品企画などの責任者を務めています。内田社長と並ぶ経営責任を問われても不思議ではありませんが、なぜか社長として経営再建に取り組む立場になります。
「忸怩たる思い」「日産はこんなもんじゃない」は経営責任を自覚していない現経営陣を象徴する言葉と思っていたら、日産の社外取締役も無自覚のようでした。
社外取締役で取締役会議長を務める木村康氏はエスピノーザ氏について「日産愛が強く、情熱とスピード感をもって業績回復とさらなる発展をリードしてくれると信じている」と高い評価を下していますが、「こんな日産」にしてしまった同氏の経営責任、さらに経営悪化を放置した社外取締役の責任をどう考えているのかも問われています。
日産は社長交代しても、社外取締役8人全員が留任します。本来なら、過去の経営執行の成果を中立的に評価し、是正を求める役割を担っています。木村氏は「責任の重大性は全員認識している。新体制をしっかり構築することが私たちの責任」と会見で明らかにしていますが、経営責任の所在などを株主や従業員ら利害関係者に明らかにすべきです。
経営責任に無自覚
「日産をこんなもんじゃない」。経営陣が他人事のように語り、自分たちは今後の経営を率いる資格があるがごとく発言する。日産に根深く入り込んだ病巣の実態のすべてを語っています。「こんな日産に誰がした?」と問いただしたら、「悩んでしまって、私も寝ていないんです」と経営陣の誰かが答えるのかもしれません。