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トヨタが走った道のりは歴史に

豊田英二さんのコンポン研究所 基本を忘れず利益に浮かれず

最近、豊田英二さんのことを思い出します。

クルマのデファクトスタンダードが内燃機関エンジンに代わって電気が当たり前になる時代が到来する一方、人工頭脳(AI)に代表されるソフトウエアが自動車などの製造業を上回る基幹産業になり始めました。全然異論はありません。

しかし、日本の企業が世界に伍して一目も二目も置かれる地位を築いた”エンジン”は製造業の力にあったと確信しています。米国の凋落と中国の台頭は製造業の盛衰と符合します。GAFAなどシリコンバレーの輝きばかりが注目を集めますが、製造業の衰退は米国の国力の退潮と同じカーブを描いているように感じます。

日本経済のエンジンである製造業がどう変わっていくか。言い換えれば基幹産業の自動車がどう進化するのか、21世紀の産業力として変身するのかを考えることです。技術革新のスピード、大胆な発想の転換などを念頭に置けば、あたかも昆虫がサナギから成虫へ変身して生き続ける「変態」に匹敵する自動車や他の産業との融合が求められています。

その時に豊田英二さんの決断が参考になる気がします。「もう少しで21世紀が来ることだし、中期的なクルマのあり方を考えた方が良いのではないか」あのプリウス開発のきっかけも英二さんの一言からでした。

いつも自らカローラを運転しながら、クルマのことを考えていた人でした。もう少し時間を遡れば当時誰も想像もできなかった米GMとの合弁事業を決断し、1984年に「競争と協調の精神こそ世界経済の発展を支える基本」と自ら哲学を語り、米国に追いつき追い抜くことばかりを考えた日本企業に世界を視野に入れた経営の舵取りの方向性を示しました。

取材する機会を得たのは1980年代半ば。豊田英二さんはトヨタ自動車の会長を務めていました。1967年から社長を務めて生産会社と販売会社に分かれてトヨタ自動車の工販合併をまとめ82年に豊田章一郎さんに社長の座を譲りました。

まだ若手記者だった頃ですから深い取材関係にまで至っていませんが何度かお話しする機会を通じて中興の祖の名に恥じない人品と迫力を感じました。トヨタの広報担当を長年勤め、その口の固さでは定評のあるベテランが「トヨタの経営者で一番は誰かと問われれば豊田英二さん」と打ち明けてくれたほどです。

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