
タミヤ ① 精緻なプラモデルは美しく楽しい ものづくりの素晴らしさを教えてくれました。
2008年9月、タミヤが東京・新橋にオフィシャルショップをオープンした時はホント、うれしかった。店内に入ると、プラモデル、ラジコン、ジオラマなどがびっしりと展示され、パッケージや展示品を眺めながら「これは中学校の頃に作った」「ああ、高くて買えなかった奴!」と呟き、本物そっくりに塗装された戦車や装甲車などを配置したジオラマに見入っていました。
新橋でもタミヤに心酔
新橋はよく通っていました。仕事というよりは大好きな焼き鳥屋さんがあったからです。オフィシャルショップが開店してからは焼き鳥を食べる前に訪れ、まずプラモデル、ラジコンカーの思い出に酔います。そして次は、焼き鳥屋さんのカウンター席に座って日本酒を飲みながら「タミヤ」を反芻するのです。時にはタミヤがデザインしたネクタイを締めて身も心もきっちり。ネクタイの柄は複葉機が飛び交っています。「複葉機も良いけど、零戦やメッサーシュミットも格好いいなあ」。身も心もアルコールでさらに酔ったものでした。
小学校の頃からプラモデルを造りまくりました。戦闘機、戦艦、戦車、装甲車、手当たり次第。母親に頼み込んで買い続けました。大和やB-29、ムスタング、スピットファイヤー、メッサーシュミット、ホンダF-1・・・。部屋いっぱいに並べ、その中に埋もれて寝ていました。高校生の時、塗料に使うシンナーが少年の健康を害する中毒として問題になり、販売が規制されましたが、親に頼んで承諾書をかいてもらい、プラモデルの塗装にも没入しました。夢中になっていたら部屋中に揮発したシンナーが充満し、シンナー中毒寸前の自分を発見したことも。
ところが、ある日、高校から帰ってきたら突然、消えていました。母親は「掃除にじゃまで我慢できなかったから」と一言。悲しくて悲しくて声が出ませんでした。高価なプラモデルを買ってくれた両親に感謝したのは、社会人として給料を稼ぐようになってから。心から迷惑をかけたと思っています。
魅力は再現力
タミヤの魅力はその再現力にあります。手にする大きさは本物の35分の1でも、実物大と同じ驚きが目の前にあるのです。手抜きがない。
プラモデル店で赤と青の下地に白抜きの星印が並ぶツインスターを見た時からドキドキが始まります。プラモデルを収納する紙箱の表紙に描かれた戦車や戦闘機のイラストは、「このモデル、造った?」と語りかけてきます。
運良く購入できて箱を開ける時のワクワク感はなんと言って良いか。ビニール袋に守られた精緻に型取りされたプラモデルの部品があまりにも美しいだけに、「ビニール袋を破らずにそのままにしておいた方が良いのではないか」「いや、せっかく購入したのだから早く造りたい」という相反する思いがぶつかり合います。
でも、ビニール袋を破り、長方形のプラスチックの骨格から枝葉に分かれた部品を切り取り始めます。一瞬、早まってはいけないと気を取り直し、改めて説明書を熟読。取扱説明書を理解するのが不得意なので、どうしても精緻に成型されている部品にばかり気が回ってしまいバラバラにしちゃうのですが、そうなると後の祭り。数えきれない部品の塊を前に何度呆然としたことか。
精密な金型で成型された部品が素晴らしい
組み立ての手順を頭に染み込ませ、部品をていねいに切り取って組み立て始めたら、もう時間の観念が吹き飛びます。少しずつ形が出来上がる過程が楽しく、必要なら途中で出来上がった骨格に塗装。プロの手によるジオラマには程遠いですが、なんとなく本物らしく出来上がる達成感はホント、気持ち良いの一言に尽きます。戦争経験がないので理解できるはずはないのですが、戦艦や戦闘機を制作すると、当時の時代の空気に触れた気分になるのが不思議です。
タミヤは戦闘機や戦艦、戦車など関連する文献を徹底的に調べて、部品を製造して本物に近い完成度をめざしています。プラモデルを買って組み立てる時は、私も戦艦、戦闘機などの性能比較、戦歴を勉強、どのような最後を迎えたのかまで調べました。
タミヤは絶対に正しいと信じる
高校生の頃、第一次世界大戦、第二次世界大戦の歴史をさほど勉強しなくても、試験で苦労しなかったのもプラモデルのおかげだと信じています。なんの根拠もありませんでしたが、タミヤは絶対に正しいと信じていましたから。
◆ 写真は2024年5月に新装開店したオフィシャルショップです。タミヤのHPから引用しました。