
昭和の「阿佐ヶ谷アパート」温い距離感 BGMが喘ぎ声の時も
NHKは東京・阿佐谷が好きなのでしょう、テレビ番組の舞台によく登場します。直近なら、夜ドラ「ひとやすみ」。テレビ朝日の人気ドラマ「相棒」などと違って突飛な事件は起こらず、10代後半から30代までの若者たちの日常生活が淡々と描かれるだけでしたが、高い評価を集めました。
NHKのドラマやバラエティの舞台に
バラエティ番組なら「阿佐ヶ谷アパートメント」。阿佐谷の住民になり切り、街のブランドを背負って芸風を仕立てた阿佐谷姉妹がMCを務め、かなり個性的なアパート住民たちが登場します。制作に朝ドラ「ばけばけ」の脚本家・ふじきみつ彦さんが参画しているため、クスッと笑えるエピソードを積み重ね、いつ見ても飽きません。
いずれも、阿佐谷の空気感が見事に表現されています。JR駅前の広場、パールセンター、西友、中杉通り、古本屋さん、金魚釣り屋さん・・・もう50年以上も前、18歳の時に大学受験のために上京して始まった阿佐ヶ谷のアパート暮らしがフラッシュバックのように蘇ります。
アパートは4畳半と6畳の2部屋。姉と兄が暮らすアパートに転がり込みました。台所と水洗トイレがありますが、お風呂はなし。家賃は確か4万円。本人は「受験失敗したら、浪人すれば良いや」と至ってのんき。田舎から東京へ子供3人を送り、生活費を負担する両親の大変さなど全く知らず、人の親になって初めて父と母の苦労を知り、今となってはどんなに頭を下げても償い得ないバカ息子でした。
50年前に上京して住み始める
案の定、大学受験は失敗しましたが、金は全く無いのになんでもできると勘違いする20歳未満の自分には阿佐谷はとても住み心地の良い街でした。
3月から始まった浪人生活はすぐに日々のルーティンが出来上がりました。午前中は勉強しますが、お昼前にはNHKラジオの「バロック音楽の楽しみ」を聴き、教養を深めたつもりに。好きな本を読み、午後3時前にはアパートを出て、下駄を履いてカラカラと音を鳴らして近所の銭湯に向かいます。
ひと風呂浴びた後は夕食の買い出し。体から湯気を出しながら、隣の八百屋さんの店先で品定めをするフリをしますが、買うのはいつもキャベツ1個。歩いて数分の豆腐屋さんに向かい、豆腐1丁も。お米が切れていたら、米屋さんにも寄り、標準米と呼ぶ最も安いコメを購入します。

気分が向いた時は、阿佐谷駅前の西友に向かい、店内いっぱいに陳列されている食品を一応眺めながらも、買うのは卵だけ。余裕がある時はベーコンも。購入した食材からわかると思いますが、夕食のメニューは卵焼きとキャベツの千切りに豆腐の味噌汁、時々ベーコンエッグの繰り返し。当時の価格で1ヶ月を1万円以内に収めました。
アパート暮らしはすぐに慣れました。狭小空間にもすぐに慣れ、大家さん、隣室の住人とも仲良くなりました。
街の空気感が心地よいからなのでしょう。人との温い距離感と呼ぶべきか。親しくなっても深入りせず、といって無視するわけではない。なにがあってもそれぞれの生活観を尊重します。時折、ちょっとだけドカドカと踏み込む厚かましさもあって「たまには良いか」と笑い合う。阿佐谷の両脇を固める高円寺でもない、荻窪でもない空気感がいつも漂うのが魅力です。
ただ、アパートの壁は薄いので、隣の部屋の様子がなんとなく伝わってきます。夜になると時折、大きな喘ぎ声が聞こえ始めて壁に耳を当てて、まだ見知らぬ大人の世界を学ぶ機会もあります。翌朝、偶然を顔合わせた隣室の女性は「おはようございます」とニコッと笑い、「昨夜の出来事は我慢してね」と目で語りかけることも。

改めて振り返ってわかったのは、阿佐谷はお金がかからない街でした。アパート近い中杉通りは、洒落たお店や喫茶店が並び、古本屋には図書館にも無い書籍が揃っていました。街を歩き回ってお店をハシゴするだけで1、2時間は過ごせます。駅南口のパールセンターも青梅街道まで抜けるアーケードは、上京したといっても阿佐谷周辺しか知らない田舎者には十分、東京を体感できる空間でした。
お金が無くても時間は楽しめる街
今でも落ち着く空間は駅北口のスターロード。50年前と変わらないお店が残っており、そのお店の前を通るたびに学生時代の記憶が鮮明に映し出されます。
ただ、とても残念ですが、お店の新陳代謝は避けられません。
もうだいぶ前ですが、大好きだった肉屋さん「鳥安」が高齢を理由に閉店しました。お父さんは黙々といつも肉を切って調理し、お母さんはほとんど90度近く腰が曲がっても店先に立っていました。焼き鳥がめちゃくちゃ美味しくて、お母さんは時々、「もう最後の残りだから」と言って1本多く加えてくれます。瞬間、涙目に。メンチカツ、コロッケはもう絶品。鳥安で焼き鳥3本、メンチカツとコロッケそれぞれ1個を買って駅ホームの椅子に座り、阿佐谷駅南口の街並みを眺めながら、よく食べたものです。

街は生き物。つくづく思います。あんまり近いと疲れてしまいますが、時々互いに声を掛け合い、励まし合い、慰め合う街は住んでいて楽しい。

