阿佐ヶ谷の屋台が恋しい 時空を超えて令和によみがえる瞬間に酔う

 NHKの「72時間」というドキュメントを見ながら、東京・阿佐ヶ谷で過ごした学生時代のころを思い出しました。「72時間」ではこれまでも阿佐ヶ谷駅南口の釣り堀が取り上げられ、視聴者ベスト10に選ばれるほど大人気でしたが、つい最近阿佐ヶ谷駅南口パールセンターの酒屋さんの立ち飲みコーナーが放映されました。

阿佐ヶ谷駅といえば「栃木屋」

 グルメや旅のテレビ番組はもともとキラーコンテンツですが、「吉田類の居酒屋放浪記」「深夜食堂」の定番に続き、居酒屋で触れる人情を楽しむ新しいコンテンツが増え続けています。限られた空間に多くの人がぐっと詰め込まれ、「プライバシーってなんのこと?」という具合に密を強いられます。でも、他人の息遣いが自分の息遣いと触れ合う暖かさがなんとも懐かしい。コロナ禍のおかげでしょうか。

 やはり、思い出すのは阿佐ヶ谷駅北口の屋台「栃木屋」です。

 阿佐ヶ谷は18歳の時、青森から上京して姉・兄とともに住んだ街です。上野駅や東京駅など何がどこにあるのかわからない街と違って、中高生のころに育った都市の繁華街に似ており、すぐに馴染みました。

オデオン座、天徳湯、八百屋さん・・・

 高校を卒業して上京したといっても、大学受験をめざす浪人です。午前中、勉強した気分になってNHK・FM「バロック音楽の楽しみ」を聴いた後、下駄を鳴らして近所の銭湯「天徳湯」(現在は天徳泉)へ行き、湯上りの帰り道に天徳湯すぐ隣の八百屋さんでキャベツを買います。食費を切り詰めるため、米は標準米、おかずはキャベツと卵焼き。毎日ほぼ同じ。今も好きな献立ですね。

 ちなみに、うれしかったのは駅北口には「オデオン座」という映画館があったこと。いつもガラガラ。映画は大好きでしたから、ちょっと歩けば簡単に映画が楽しめる街は最高でした。しかも時々18歳以下禁止の映画も。高校生の頃に入館を拒否された苦い経験がありますから、ドキドキしながらオデオン座に入った時の感動はよく覚えています。内容については、奥手だったせいかピンと来ない。今でも覚えているのはイタリア映画「三つ玉作戦」ぐらい。人並み以上に精力的な男性が繰り広げるコメディでした。三つ玉という発想に驚きました。

毎夜10時に北口ロータリーへ

 午後10時ごろ、阿佐ヶ谷駅北口に向かいます。屋台の栃木屋がお店を開く時間です。お金がなく食費を切り詰めながらも、なぜかお酒を飲むお金はあるのです。不思議です。北口のロータリーは今はバスでいっぱいですが、40年以上も前の1970年代は夜になると屋台があちこちにありました。栃木屋は駅の改札を出て北口を抜けてまっすぐ歩いた場所でした。今はハンバーガー店があります。

 お酒に関することはすべて栃木屋で教えてもらいました。といっても、高校に入ってからすぐにお酒を飲んでいましたから、上京してお酒を覚えるというかわいい思い出じゃありません。お酒を飲んだら酔っ払います。屋台の長椅子には多くの人が座ります。詩人、警官、落語家、新聞記者、相撲取り、時には売春婦さんまで。本か新聞・テレビでしか知らない世界が目の前で人間の形になって、「人生って面白いよ」と教えてくれます。

 偶然の積み重ねが続くと、屋台でお酒を飲んでいれば確実に面白い人間に出会える自信が湧きます。不思議です。だから毎夜屋台に向かい、いろんな人と出会い、驚き、あきれ、最後は励まされている自分が座っていました。

最後は、励まされている自分に気づく

 栃木屋の思い出は尽きません。これまでも「From to ZERO」でも掲載していますが、自分自身のものの考え方や人との出会い、衝撃、好き嫌いなどなど。自分自身の感性と直観が試され、鍛えられました。20歳代で覚えた衝撃は40年以上の年月を経た67歳の今も生き続けています。白熱電灯に照らされたサピア色に染まる屋台の空間は、オデオン座で見た18禁の映画よりも興奮し、どんなエンターテインメントにも勝りました。

 お客さんをいつも暖かく出迎え、日本酒やビールを差し出す屋台の親父。その陰で食器洗いなどを助けるお母さんはいつも割烹着姿。もう50年の歳月が過ぎましたが昭和、平成、令和の元号を経た今も、阿佐ヶ谷駅北口のロータリーに立つと、お二人の姿が浮かびます。こちらはだいぶくたびれてしまいましたが、「三つ玉作戦」を思い出して今日も書きます。

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