「規格外」を決めるのは誰か スーパーや八百屋さんじゃない!私たちです
食の廃棄を考える時、必ず出てくるキーワードの一つが「規格外」です。日頃、安全性などを理由に工業製品や食品に規格・規制があるのは当たり前と納得しているつもりでしたが、野菜を栽培して食べていると「規格って誰のためにあるのか?」という素朴な疑問が浮かびます。
規格外の野菜とはどんな定義か。規格は見た目に左右されるようで、サイズ・重量・色沢・形状などによっていくつかの段階に選別され、作物別に各産地独自の基準が設けられているそうです。産地別のブランドを確立して価格の安定を考える農協が増えていますから、こちらも納得です。ということは中身?は規格品と同じでもサイズや色合いなどで市場への流通規格に合わないと、市場を経由した出荷が難しくなるのでしょうね。
農林水産省はかつて「野菜の標準規格」を定めていましたが、国の基準があれば流通の合理化が進まないと判断し、2002年に規格は廃止しました。やはり、現在は規格は産地が自主的に基準を設定して運用していることなります。
個人的に野菜栽培を続けていると、おいしさと見映えはそんなに比例しているわけではないことを何度も実感します。見た目が美しい赤く熟したトマトはやはりうまいと感じますので、見映えと味は無関係と考えているわけではありません。むしろ関係はあると思います。ただ、表面に傷やヒビが入ったり変色したりしたトマトやきゅうりなどスーパーなどの店頭なら並ばないような野菜がまずいわけでもありません。ひん曲がったなすやきゅうり、人参を割安にときにはタダでいただき、得した気分は何度もあります。
先日、野菜農園の廃棄場所に万願寺とうがらしが落ちていました。掲載した写真に一部黒色に変色したものが写っているのが、その一つです。万願寺とうがらしは大好物なので、思わず手が延びて拾ってしまいました。もちろん、家で美味しく食べました。
改めて規格外の野菜、製品とは誰が決めているのだろうか?と考えてしまいます。市場や農協は「味も見た目も気持ち良い製品を提供する」ことに徹しているわけですが、選択しているのは私たちです。「店頭に並んでいる野菜を買うしかないじゃない」ということはありますが、いつもと違う見た目の野菜は、ちょっと変色しているだけで「おいしくない」「買うに値しない」と即決してしまうクセが生活習慣として根付いていると思います。まるでコロナ禍であちこちにある体温センサーに顔を寄せると、ブッブーと鳴っている気分です。といって取り立ての野菜のおいしさが見た目や形など全てに勝るということを知るために、野菜を栽培してみてくださいと推奨するのは非現実的だとも思います。
見た目も大事だけど、味はもっと大事
見た目で選択してしまう習慣が当たり前になった背景には、食品トレーの普及があるのではないかと推測します。食品トレーを生産している最大手メーカーはよく知っていますが、安全性などの品質、廃棄に伴うリサイクルに熱心で、トレー自体にあれこれ問題があるわけではありません。配送の合理化や野菜など生鮮品の品質保持などに大きな役割を果たしており、日本の食品流通には不可欠な存在です。