表皮が黒ずんだ万願寺とうがらし

「規格外」を決めるのは誰か スーパーや八百屋さんじゃない!私たちです

 ここは野菜など生鮮品の目を養う視線で考えてみます。海外の生鮮市場に行くと、野菜も肉も丸出しで山積みしているシーンを目にすることがあります。30年ほど前にハノイ、ホーチミンを訪れた時、生鮮市場で並んだ大きく切り分けられた肉の塊に感動し、思わずお店の人にカメラを向けて撮影してしまい、嫌な顔をされたことがあります。4年ほど前、高層ビルが立ち並ぶホーチミンの都心を歩き回っていたら、迷い込んだ路地に開いていた小さな市場で艶の良い肉の塊と再会でき、妙にうれしかったのを覚えています。

 冷蔵庫に保管されない肉の切り身、山積みされた野菜が外気にさらされたまま。新鮮なものを売っていると見るか、不衛生と見るか。新鮮でおいしいのはどれか、ちゃんと選別できるか。売る側、買う側の間にある緊張感が市場にはありますし、それが新鮮なものを見極める訓練の繰り返しになります。

生鮮の強さと美しさを感じるはず

 ところが、食品トレーとラップに守られた生鮮品は、一つの完成品と受け止めれているのではないでしょうか。トレーに入っている野菜は安全です、トレーにパッキングされない野菜は選ばない方が良いですよ。トレーによるパッキングは本来の意図とは異なる規格を消費者に暗示し、買うか、買わないかの線引きをしてしまっているようです。

 規格品か規格外品かは本来は生産者が選別しているにもかかわらず、店頭では流通の便利さを優先した結果として消費者が買う商品を選別する「規格」となっているような印象です。

 お金を払って食べるのは消費者です。規格内なのか規格外なのかは、実際に食べる私たち消費者が主導権を握るべきです、ところが、万願寺とうがらし、きゅうり、にんじん、なすなど生鮮野菜を購入する基準は、まるで合羽橋にあるプラスチックの食品ミニュチアを買うかどうかと同列になっているのではないかと思います。金メダルを噛んだ首長さんがいましたが、プラスチックを噛んで新鮮かどうか、おいしいかどうかを確かめる人はいないはずです。和食は眼で食べるといわれますが、実際の味は舌で感じます。

 小さい頃、函館で暮らしていたので新鮮なイカを食べていました。毎朝、イカ売りの人が「イカ〜、イカ〜」と売り声を上げながら、家の前を通ります。その日獲れたイカを買い、食べるのが当たり前です。鮮度が落ちたら塩辛になります。そのせいか、東京でイカを買おうと思っても、いざ店頭に並ぶイカを見ると買えません。選別する眼が体に染み込んでいるのか、脳がイエスという指令を出してくれません。規格か規格外か。次からは自分の眼、耳、鼻、舌、手の五感を信じて決めてみませんか?

 

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