1㌦130円 籠る日銀 サインは指し値オペだけ 今こそ雄弁、寡黙は勘弁
1ドル130円がついに目の前に現れました。20年ぶりの円安水準です。だいぶ昔のようですが、2000年代初めの日本は「ITバブル」の余韻がまだ続いている頃です。そんなひどい経済状況ではありませんでした。
1985年のプラザ合意から学んだ教訓
1985年9月のプラザ合意後、ドル円の為替相場が大暴れした時期を経験しています。1ドル240円台から150円台までジェットコースターのように激しく滑落する様を目撃しました。自動車はじめ日本の産業界はドル円の為替対策に追われ、高度成長を支えた輸出主導の経済政策は軌道修正を迫られました。
円高が進み1ドル180円台の時。ある自動車メーカーの経営者は「たいへんだよ」と口から出る言葉は厳しいのですが、表情にまだ余裕がありました。それが160円台に達した時は真っ青どころか真っ白な顔に。「利益が吹き飛ぶどころか、会社丸ごと奈落へ落ちる気分」を味わっているようでした。
第一番目の教訓。「悪い円安なのか、良い円安なのか」と考え、右顧左眄(うこさべん)するのはやめましょう。為替相場は冷徹です。かならず日本経済に打撃を与えます。どう切り抜けて次の局面に向けて態勢を立て直すか。知力と体力が求められるだけです。幸いにも日本経済、産業界はプラザ合意を乗り切ることができました。もちろん脱落した産業、企業もあります。急激な円高の思わぬオマケとして1990年代にバブル経済が到来したのには驚きましたが、「日本は世界一だ」と勘違いした報酬はあまりにも大きかったた・・・。まだ授業料を払い続けている気分です。
政府や日銀はもっと説明を 雄弁に語って欲しい
そして第2番目の教訓。こちらが最も大事です。政府や日銀は国民や企業が正確に状況判断できる材料をしっかりと提示することです。日銀の黒田東彦総裁は3月18日の定例記者会見で「(円安は)経済にプラスに働く構図に変わりはない」と発言。4月18日の国会では「急激な円安はマイナスが大きい」と多少ニュアンスを変えましたが、姿勢に変化はないと答弁しています。鈴木俊一財務相は4月19日の閣議後の会見で「急激な変動は望ましくない」。