原子力最中(モナカ)を食べたことがありますか? かつて福島県のお菓子でした。

原子力最中を見つけた時は衝撃を受けました。

40年近い前、福島県大熊町へ福島第一原子力発電所の取材に行った際、ちょっとした衝撃を受けたのは「大熊町原子力最中」というお土産品が売られていたことでした。最中の表面というか皮は福島第一原発の建物が浮き上がるように焼かれていました。食べる時は口の中に原発をひと飲みして、ガブリと食べる感触になります。当時書いた記事を見ると、「ひと口味見するとしてもちょっと不安を感じるようなお菓子」「ユニークな名前に引かれて買った。8センチ四方とかなり大きく、甘みが強いため、おいしいと思ったのは初めだけ。全部食べ尽くすのはとてもとても」(最中を作ったお店の方、ごめんなさい。個人の感想です)。

北陸の原発立地の取材で先進事例として福島県を訪れる

取材に行ったのは当時、金沢をベースに北陸の経済について記事を書いていました。最大のテーマは電源開発。石川県の能登半島から福井県の若狭湾にかけて原子力発電所計画が並び、建設も進んでいました。すでに原発銀座との異名で知られていました。建設予定地の関係自治体、住民のみなさんは当然、原子力への不安を口にします。石川県七尾市ではガスを燃料とする火力発電計画が打ち上げられていましたが、巨大タンクが隣接地に建設される恐怖を口にする住民は多かったのです。ガスタンクの安全性すら確信できないのに原子力の信頼性をどう理解すれば良いのか、住民にはとてつもない壁です。そこで「原発先進地」である福島県の実情を知りたいと考え、福島第一、第二の原子力発電所を訪れました。

町の大通りには推進の看板が

双葉町長は「原発反対の気持ちがわからない」と

1985年5月に掲載した記事には「田中清太郎双葉町長はじめ地元のほとんどは『原発誘致に反対する人の気持ちが分からない』と口を揃える」と書いています。町内には大きな看板で原発に未来を託す言葉が掲げられています。北陸電力の能登原発(現在は志賀原発)などで激しい建設反対運動を取材しているだけに驚きの連続でした.確かに電源三法交付金、固定資産税などで地元の町財政は潤い、地元雇用の増加や賃金の上昇で双葉町などの所得は福島県下でトップクラス。能登原発の建設予定地である志賀町などは船員などで県外に就職する人が多く、地元には農水産業のほかに雇用増を期待できる企業は見当たらない。しかし、双葉町などの地元産業を眺めても原発関連企業が多く、東電依存の構造が際立っていました。当時の記事には「原発には即効剤にはなるが、根本的な治療には至らない」と結論。原発の甘さに酔わない地元のひたむきな努力しかないと締めています。

現在、双葉町は帰還困難地域が大半を占め、まだまだ厳しい状況にあります。将来に向けて水素基地を建設する巨大プロジェクトが動き始めています。国はじめトヨタなど大企業主導のプロジェクトでもあります。町、地域が自らの未来をどう築いていくのか。東京電力や原発など電源開発による地方活性化策などを長年取材してきた経験をもとに再び福島を歩き回ります。

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