「大槌町 震災からの365日」再利用図書が今、再び学ぶ書籍に 地震大国の宿命か

  1ヶ月ほど前から読み始めた書籍は図書館が処理する「再利用図書」でした。図書館での利用期間を終え、「読みたい人が自由に持ち帰ってお読みください」という本です。もちろん、本は個人それぞれの価値観で選び、読むわけですから、図書館から「いらない」と言われようが自由な存在です。しかし、こんなに早く、改めて読むべき価値を生み出すとは思いませんでした。

再利用図書が再び、読むべき価値に

 その書籍とは「駐在記者発 大槌町 震災からの365日」(岩波書店)。2012年6月22日、初版が発売されました。東日本大震災から1年余り過ぎた時です。津波により人口の1割が犠牲になった大槌町の復興に向けた1年間を日記風のタッチでルポルタージュしています。書籍の内容はもちろん、素晴らしい。ただ、こんなに早く大地震の教訓を改めて再認識しなければいけない日が訪れるとは予想もしませんでした。

 著者は東野正和さん。朝日新聞の記者です。1988年に朝日新聞社に入社して、岐阜、名古屋、政治部を経て2005年に盛岡支局。政治部、特別報道センターを経て2011年の東日本大震災後、岩手県の大槌町に駐在記者として赴任しました。盛岡支局を経験していることもあって岩手県の事情に精通しているうえ、政治部で国内の有力政治家らとも人的ネットワークを持っています。震災で肉親、家屋を失い、深く傷ついた大槌町民に寄り添いながら、復興の理想と現実の隙間を自身の視点で、しかもきっとかなり個人的な思いも込めて書き込んでいます。

駐在記者の腰が座った視点に最敬礼

 初めて大槌町を訪れて短期間で取材して記事やリポートする記者、ジャーナリストと比べ仕事のレベルが違います。取材する本人にとって驚き、目を奪われることでも、地元の皆さんにとって勘違いに映ることは多々あります。初期段階は仕方がないとしても、甚大な被害から復興を目指す過程をどこまで深く取材できるかが記者、ジャーナリストの力量が問われるのです。

 地方駐在の良さは取材先から逃げられないことです。自分の取材、記事が新聞に掲載されれば、地元の読者と当日か翌日には会います。読後の反響は直接、しかも真っ直ぐに伝わってきます。取材者との関係がどうであれ、必要なら何度も何度も繰り返し取材しなければいけません。腹を据えて直視し、記事を書く覚悟が欠かせません。

 書籍の内容はあえて説明しません。タイトル通り、大槌町の1年間でどんなことが起こり、町の行政と町民が行き違い、ボランティアで訪れた外部の支援団体と地元のニーズがすれ違い、政府や政治家など国の政策と地元の本音が乖離する・・・。多くの教訓が描かれています。復興に向けて歩む日々すべてが読むに値します。

復興への臨場感がひしひしと

 新聞記事と違い、原稿に粗さがあってその時々の臨場感を覚えるのも魅力です。なによりも、過去に多くの地方、国の取材経験を積んだうえで、東日本大震災の甚大な被害に襲われた地方自治体の実相を時には慌て、時には冷めて眺めて原稿を書く姿に敬服します。読み通すと、「新聞記者って商売はやっぱり良いなあ」と思えてしまうのは同業者ゆえの甘さでしょうか。

 大槌町は東日本大震災後、コロナ禍前までは毎年訪ねました。自分自身の故郷が青森県なので、東京からクルマで福島県の浜通りから海岸沿いに北上して青森市三内霊園にある墓まで向かいます。

 この道のりでいつも痛感するのが東北には空白地帯が2箇所あることです。大熊町、浪江町、双葉町などの浜通り地区、そして大槌町と南三陸町。原発事故と大津波による甚大な被害は大きく違いますが、人影も吐息も感じない真空のような時間を共通して感じた時がありました。

「ひょうたん島」は復活の象徴

 大槌町の駅で思わず買ってしまった土産があります。小さい頃、毎日楽しみに見ていたNHKの「ひょっこりひょうたん島」のアクセサリーです。作者の井上ひさしさんがモデルにしたといわれる「蓬莱島」が大槌町にあります。「私たちも復活するぞ!とそんな思いを込めて作っています。おばちゃん達」と書かれています。

大槌町のお土産

ひっくり返すと、おばちゃん達の決意が

 中高生時代は青森県八戸市で育ったこともあって、地震や津波の教訓をたくさん聞きましたし、経験もしました。中学校の授業中に経験した十勝沖地震では、避難途中に校舎が斜めに傾き、校庭も割れ始め、ようやく帰った自宅の敷地は液状化。揺れるたびに水が噴き出してきます。父親が出張で不在だった時でしたので、母親が自宅で呆然としていた姿を今もはっきりと覚えています。

 実は能登半島の地震も経験があります。新聞記者駆け出し頃、金沢に赴任していましたが、能登半島など日本海側が地震に襲われました。輪島の港は津波を押し寄せる直前、港の底が見えるほど潮が引き、その後に襲いかかる津波の衝撃を忘れることはできません。東日本大震災は北海道の函館市で経験しました。異常に長い縦揺れと横揺れを感じ、これまでの地震と全く規模だと察知し、電話網が断ち切られる前に記者らに連絡したのも覚えています。

 「大槌町 震災から365日」を手にしたのも、他の東日本大震災に関連する書籍を読み続けてきたのがきっかけです。自宅に近い図書館でもう利用期限が過ぎたとして再利用図書として「読みたい人は自由に」というコーナーに置かれた「大槌町 震災からの365日」を見つけました。

 「不要になりましたら、ご自身で処分をお願いします」と説明する紙を見て、「不要になる時が来るんだ」と妙な気持ちになったものです。東日本大震災から12年過ぎていました。図書館の所蔵から処分に回される時を迎えたのかと納得したものです。

大槌町の教訓が能登で再び

 2024年1月1日夕方、能登半島を最大震度7の地震が襲いました。能登半島は、20歳代の新聞記者駆け出しの頃に3年間、原子力発電所の建設計画や伝統工芸などをテーマに文字通り駆けずり回った地域です。能登半島の地震を経験していますが、今回ほど大規模な地震は予想をできませんでした。

 再利用図書「大槌町 震災からの365日」161ページにつぎのような下りがあります。 震災後、初めてのクリスマスを迎えた12月25日、大槌町の赤浜小学校の地区忘年会に出席した記者が体験したエピソードです。

 私の横に座った男性は現実を語った。家族は無事だったが、家を流された。「家族を亡くした人は悲しいかもしれないが、これからは生き残った方が大変なんだ」。遺族には公的補助が多くある。生き残ったら。もらえるカネが少ない。大家族ならさらに苦しい。

「新車を買う人と中古を買う人。三食食べる人と二食にする人。もう差が出ている」

「これからの人生に向かう気持ちは、お金があってこそ出てくるもんだ」

「悲しみは癒えてもお金はずっとついて回る。この一、二年で自殺者が出るぞ」

 仮設住宅で、そういう目でお互いを見始めているのだ。酔いも覚めた。

 輪島市や珠洲市など能登地方の皆さんがこれから直面する厳しい現実を予言しているかのように読んでしまいました。図書館が再利用として処分した本が、今後の復興の参考になるとは・・・。複雑な心境です。

千里浜を疾走した時の思いは忘れません

 能登地方の皆さんに伝えたい。20歳代に石川県で暮らし、嫌なことがあったら能登半島にクルマで向かい、千里浜を突っ走ってなんとか仕事を続けた私です。それが新聞記者として大きな財産になりました。「私は絶対に復活すると信じています」

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