手話が公用語になる日「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに」

 「何も知らなかったんだなあ」

 手話を勉強していると新たな驚きが次々と目の前に現れ、自分の知識と経験の足りなさを痛感します。奇妙な表現ですが、この驚きが楽しく、なんとか手話を学び続けようという意欲が湧くから不思議です。

耳の聞こえない人の過去、現在、未来

 「耳の聞こえない人の”生活と社会”・過去と現在そして未来〜」と題したお話を聞く貴重な機会を得ました。講師は聴覚障害者の支援団体などで活躍されており、自らの体験も含めて語ってくれました。1歳の時に高熱を出し、治療の際に注射された解熱剤の副作用の影響などで聴覚を失ったそうです。

 「聞こえないから無視して良い。関わらないように」。小学1年時、クラス担当の先生が他の生徒に対してこう話したそうです。この出来事を知った母親は激怒して抗議しましたが、結局は転校。その後もコミュニケーションの苦労は続きます。中学・高校ではろう学校の同級生とは母音を表す口形と指文字などを組み合わせたキュードスピーチと呼ぶ手法で、耳が聞こえる生徒とは簡単な口話と筆談でやりとりし、本格的に手話を勉強し始めたきっかけは中学の難聴学級の同級生に誘われて参加したクリスマスパーティーだったそうです。

 「英語を勉強して初めて文法の意味を理解し、日本語を記号としてイメージして文章の意味が理解できるようになった」と講師がお話した時、手話初心者の私には手話も同じと思ったものです。どうしても手話を指や手などの表現と捉えてしまい、文字通り小手先で覚えてしまっていました。

 手話は日本語同様、改めて言語として受け止め、理解する。英語の勉強のように単語で覚えるのではなく、文章として覚えていけば手話の理解が進むのじゃないか。最近、成果は出ていないのですが、自分なりになんとなく手話を理解できる道筋を見つけた気がしていました。

 講師のお話の中でなによりも辛かったのは、健聴者の両親ら家族とテレビの内容などについて楽しく会話できなかったことがあったと明かした時でした。家族と意思疎通がうまくできず、一緒に笑えない瞬間があるとは・・・。言葉を失います。

法律面での差別を初めて知る

 法律面の差別も全く知りませんでした。運転免許証は道交法88条で耳が聞こえないなどを理由に取得できないと定められ、民法11条では準禁治産者として見做され、住宅ローンや相続などができない。聴覚障害者が薬剤師試験に合格しても、厚生省は目が見えない、耳が聞こえない、口がきけない人が免許申請しても却下。

 さまざまな場面で耳が聞こえないなどの障害を理由に人間としての権利を奪われていました。最たるものは、旧優生保護法などを理由に男性が不妊治療された例もあったそうです。

国や国会の対応の遅さに驚く

 驚くのは政府や国会の対応の遅さ。免許取得など聴覚障害者を特定した法律上の欠格条項が撤廃されたのは2001年7月。免許取得を認めなかった道交法88条も改正を重ね、徐々に免許取得を認めていましたが、耳が聞こえない人すべてに免許取得を認めたのは2008年。ついこの間、最近です。それもワイドミラーや聴覚障害者標識を装着する条件付きです。

 手話言語法の制定の重要性も強調していました。国として手話を音声言語と同じ言語として認め、普及させていこうというもので、手話と音声言語が同列に並べば、生活のいろいろな場面で手話や耳の聞こえない人に対する理解が進むからです。自治体レベルでは手話言語条例が34都道府県などで成立しています。

手話を公用語にする国も

 手話を公用語に決めている国はすでにあります。ニュージーランドは2006年に手話を英語、先住民のマオリ語に続いて公用語として認めました。乳製品が最大の輸出国であるニュージーランドは地球環境保護などに熱心で、正しいと思ったことはすぐに実践しようという国です。とてもわかりやすい政策を実行する国です。

 こうした政策立案は南太平洋の島国、小国だからできるのだと揶揄する向きもありますが、結局はニュージーランドの”実験”を世界の国々が後追いしているのが現実です。手話の公用語はパプア・ニューギニア、韓国も認めており、欧州でも準公用語として使っている国があります。

日本には津軽弁、薩摩弁そしてアイヌ語も

 手話を認めるかどうかは単に言語の問題にとどまりません。人間それぞれの権利と違いを認めることにつながります。手話に限らず、日本には津軽弁や薩摩弁など地方に独特の語彙と発音で構成された言語が多くあります。その土地の文化、習慣などを表現し、日本の文化の多様性を支えているのです。多くの人は忘れていますが、北海道にはアイヌ語もあります。

 手話を通じて耳が聞こえない人に対する多くの差別を知った時、明治時代にアイヌ出身の知里幸恵さんが翻訳したアイヌの神話を思い出しました。「梟の神の自ら歌った謡『銀の滴降る降るまわり」です。

 アイヌ語で神を意味するカムイの梟は、人間の村を飛んでいる時、昔貧乏人だった今お金持ちの子供が、昔お金持ちで今貧乏人の子供をいじめています。お金持ちの子供たちは梟を射落とそうと黄金の弓で黄金の矢を放ちますが、当たりません。昔お金持ちで今貧乏人の子供がお粗末な弓と矢を放つと、梟はわざと当たり捕らえられます。子供は梟を自宅に持ち帰ると、老夫婦はカムイとして大事に奉ります。梟は恩返しなのでしょうか。「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに」と歌いながら飛び回り、家は多くの宝でいっぱいに。家族はこの恵みに感謝し、仲良く生活することを村の人々とともに誓います。

知らない言語をきっかけに「より素晴らしいもの」に気づく

 手話の公用語制定を提案したいわけではありません。手話をきっかけに自分たちが今、使っている言語、コミュニケーションの素晴らしさと限界、そして新たな手段を知ることは、いま気づいていない「より素晴らしいもの」があることを知ることにつながります。目の前の壁を打ち破る力になるかもしれません。

 「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに」

 手話が当たり前のように理解され、使われる時、日本の社会に思いもしない驚きと楽しさをもたらしてくれるような気がします。

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