手話に世界史の足跡 所作から教科書がパラパラと開き始めるのが見えてきます。
手話の勉強を始めて2年めの初心者が感じた驚きを綴っています。60歳を過ぎてから手話を習ったせいか、手話講座2時間で習った手話を一度で覚えられません。年齢を理由に予想を上回る記憶能力の低下について納得しようとするのですが、「3歩あるくと忘れるニワトリ」を繰り返して体感するとさすがに自己嫌悪に陥ります。
右から左に忘れますが、逆に毎回新鮮な驚きが
忘却の彼方にさまよう現状に唯一良いと感じたのは、先生が教えてくれる手話の世界に毎回、新鮮な驚きを覚えることです。全く教えがいのない生徒で申し訳ない。
直近の驚きは国名。サッカーのワールドカップが開催されているため、手話の話題もサッカー観戦に。日本代表は予選リーグを突破して2年連続のベスト16入りを果たしました。クロアチアと引き分け、PK戦で破れる残念な結果となりましたが、手話の先生も生徒の皆さんも夜中から未明にかけてテレビ放映を熱心に視聴していました。
ちょうど午前4時に試合開始したスペイン戦で日本が勝利した日の午前が手話講座の日でした。盛り上がりました。話題の流れからスペインに続き、ドイツと対戦チームの国名をどう表現するのか。そしてアメリカ、フランスなど他の国々もどんな所作で表すのか。
サッカーW杯をきっかけに国名の手話
まずスペイン。右手の人さし指に親指の指先をのせて左胸につけたら、上に返して表にします。もうひとつあります。両手の指先を合わせて並べて、両手を上下に揺らします。スペインといえば闘牛。この所作は闘牛士を表したそうですが、今はこちらを使う機会が減っているそうです。牛を殺すことが残虐との批判があったからでしょうか。時の流れによって意識が変化し、手話が変わっていく。手話に限らず、言葉が生きている証拠を目で見た思いです。
それではドイツは?右手の人差し指を立てて、親指側を額に当てます。ドイツ兵の鉄兜を表しているそうです。この表現で思い浮かべるのは、ドイツ皇帝、ヴィルヘルム2世。1900年代、ビスマルク首相の手腕で欧州の強国となったプロイセンの皇帝で、ビスマルクを首にして親政を開始。結果的に第一次世界大戦を引き起こす一因となり、それがドイツの混乱、ヒトラー台頭、第二次世界大戦への道を歩むことになります。その皇帝がドイツを表す手話の所作として残っていることは、複雑な心境です。
フランスは、親指一本を立てて肩に付け、弧を描くように胸の下あたりまで降ろします。こちらも皇帝ナポレオンの服装からイメージされています。フランスの場合はいろいろな所作があるそうで、一つに首のあたりで片手をクルッと回す仕草があります。表現するのはフランス人形だそうですが、ドイツ、ナポレオンと続くとどうしても革命の断頭台で亡くなったマリー・アントワネットの姿が重なります。
ドイツは鉄兜、フランスはナポレオン、米国は星条旗
アメリカは、手のひらを横にして目の前でひらひら。星条旗が風ではためく様子です。アメリカは、移民国家で建国の歴史がまだ若いため、多くのイベントなどで星条旗が国をまとめる象徴になっています。
イタリアは長靴のような形右手の人差し指と親指を使って長靴のような国の形を示します。ローマ帝国として世界を制覇しましたが、都市国家に分裂して長靴の形をした半島が一つの国として統合するまで、苦難の歴史を刻みました。それが今のイタリアにとっても地域格差などでの貧困問題として尾を引いています。英国はバッキンガム宮殿の近衛兵がかぶる帽子のあご紐、エジプトはピラミッドのミイラなど。他の国も同じです。だれもがの国の象徴を表す所作で表現されます。
視覚で固有名詞を表すのですから、所作からイメージできるものは、多くの人々がすぐに思いつくエピソードが選ばれるのでしょう。それがまるで世界史の教科書を参考に選ばれているのがおもしろいです。よく考えれば、教科書は、多くの人が必要とする知識が詰まっています。
教科書の知識は多くの人のイメージの源
ただ、逆に考えれば、誰もが手話の所作から思うかべるエピソードが教科書に綴られていると考えることができます。正直言って、ちょっと怖いです。歴史は勝利者の便法ともいえるものです。歴史の教科書にかかえれていることは特定の視線であって、敗者の視線も含めれば、多角的に、しかも複眼的な見方を忘れずに教科書の事実を考えることが必須です。
「あれ、ドイツってどう表現するんだっけ」と苦笑しながら、ひとつのイメージが共有される怖さだけは忘れません。最後に先生が一言。「国名はいろいろな表現があります。その国の人が示した手話の表現をまず尊重して、会話してください」。
それじゃ覚える意味がないじゃない、と憤慨するのは10年早いぐらいはわかっていますが(苦笑)。
手話の勉強は本当に面白いです。