ハワイ・コナ ポリネシアを感じ、日本の明治が蘇り、現代のスイートメモリーに出会う

美しい日本語のびっくり

 翌日、今度はホテルのフロントから電話です。「部屋のバスルームは漏水しているようです。下の階に水が垂れているのでチェックに向かいたいけど、良いですか」。もちろん、英語で話しています。すぐにトントンとドアが鳴り、スタッフが英語で「下の階は洗濯室なので、宿泊客に被害はないです。こちらのメンテのミスですから気にしないでください」と説明します。「ああ、そうですか」と答えたら、彼は突然「日本人ですか」と昨夜と同じことを質問します。「そうですよ」と答えたら、「私の親は日系移民出身です」と今度はやはりきれいな日本語で話します。

 仕事の関係で広島市に住んでいたこともあって、明治時代に広島から多くの若者がハワイへ移民したことを知っていました。移民問題について今回は触れませんが、ハワイ島のコナやヒロには多く広島出身者が移民、広島県人会もあります。ただ、頭の知識で日系移民をイメージしていただけで、実際にハワイ島で連日、「あなた、日本人ですか」と日本人と遜色ない日本語で話されるとは思いもしませんでした。

コナのメインストリート

出身者が多い広島の県人会も

 たいへん失礼と承知しますが、祖父母やご両親が日系移民といってもハワイ現地は公用語の英語を使うはずです。普段使いしない日本語のレベルはどうしても劣ると勘違いしていました。「あなたも日本語をもっと使って良いんですよ」と言われましたが、アジア系の顔だからといって日本語で話しかける勇気は持ち合わせていません。ただ、100年以上に及ぶ日系移民の歴史のなかで、みなさんが日本語をどう守り続けていたのか、あるいは日本とどう向き合ってきたのかを思い知らされ、詳しく知らない自分を突きつけられた思いです。

 日系移民の現地の方とお話する貴重な機会は水洗トイレの故障でした。水洗トイレに感謝です。

 翌日、「やっぱりポリネシア、日系移民をもっと意識しなきゃ」と思って街を歩いていたら、欧米系のホームレスの人たちをよく見かけます。勝手に「南の島の天国」と勘違いしているだけに、ホームレスの存在に驚きます。海岸沿いの空き家や公衆トイレで寝ている人もいましたから、生活の場は周辺なのでしょう。

 コナの美しい湾に面したメインストリートを歩きます。かつてのハワイ王朝の香りがする建物や彫像、欧米から移入されたキリスト教の教会、観光客向けのレストランやお土産店が並びます。

 だいぶ前にNHKの街歩き番組で登場した画廊を見つけました。画廊の主人は孫娘を相手に絵の書き方を教えながら、「コナは自分が住み始めた頃より大きな街になったが、コナの美しい風景を描き続けたい」と話していたのを覚えています。

 画廊の中は番組に登場した祖父、その息子さんの絵がいっぱいに飾られていました。ちょうど娘さんが画廊にいたので、「テレビ番組で見て、とても美しい画廊なので訪ねてみました」と話したら、とても喜んでくれました。

 おなかが空いたので、隣のカフェテラスのバルコニーに座り、フィッシュ・アンド・チップスと地元のビールを注文します。素材の魚はシイラ、ハワイでマヒマヒと呼ばれています。山下達郎のCDでDJの小林克也が「マヒマヒライダー」と叫んでいるのが蘇ります。

 フィッシュ・アンド・チップスは英国を代表する料理です。ハワイ島に立ち寄ったキャプテン・クックが縁でもたらしたのでしょうか。ハワイの魚マヒマヒが衣を着替えて英国風に変身したように、日本や欧米からの移民のみなさんはハワイの文化にどう溶け込んだのでしょう?興味は尽きません。

レストランの柱に津波の注意

 コナの海岸から美しい夕陽を眺めるながら歩いて帰ると、アウトリガー付きのカヌーを片付ける若者を見かけます。彼の1日も終わりです。夕食に入ったメキシコ料理レストランの柱を見たら、津波が発生した時の注意が掲示されていました。そう、地震と津波の大災害に遭う危険性が常にある地域です。観光客と違い、島民は「ここはハワイ」と浮かれてはいられないのです。「あのホームレスは海外近くの空き家で寝ていたなあ」とふと思いましたが、余計なお世話です。

 コナのすべての風景が時間の経過とともに、スイートメモリーに昇華していきます。

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