人間と熊と鹿(下)オオカミが教える共生社会、地球との生態系を守る

 「オオカミの森」をご存知ですか。野生動物研究家の桑原康生さんが1995年に北海道標茶町に移り住み、海外から連れてきたオオカミと暮らす広大な敷地を使った施設を設けました。オオカミの生態と共に、自然全体の生態系を守る大切さを伝える自然教室を開きました。

 桑原さんは北海道はじめ全国でシカなどの食害が広がっている背景には、明治時代に野生のオオカミが絶滅し、日本の生態系が崩れたからと考えています。シカなどの被害を抑える手段としてハンターによる駆除が一般的ですが、崩れた生態系を元に戻すには、絶滅してしまったオオカミを復活させることが最良の手段と考えていました

北海道標茶にオオカミの森

 オオカミの主食はシカなどの有蹄類。非常に賢くリスクを避ける生き物なので、人間に対する警戒心も強いそうです。オオカミを移入し、自然に放つ試みはあります。米国の国立公園イエローストーンです。北海道と同様にオオカミが密猟で絶滅し、シカの食害が広まったため、オオカミをカナダから輸入して野生に戻しました。桑原さんはオオカミを北海道の自然に戻すことは生態系を本来の姿に戻すことといいます

 桑原さんの活動を知ったのはもう10年以上も前です。北海道のテレビ局がドキュメンタリーを制作し、その制作担当者からお話を聞く機会がありました。絶滅した日本のオオカミを復活させるいう内容は、日本では突拍子もないと受け止められ、オオカミ好きのマニアが試みていると勘違いされることを心配していました。

 ところが、この視点はとても重要でした。シカによる食害は北海道の森林を食い荒らし、自然そのものが荒廃していく事実を知りました。その原因の一つがシカの天敵であるオオカミの絶滅にあるとは知りませんでした。現在、施設は別の人に継承されているようですが、以来「シカとオオカミ」の関係が脳に焼き付いて、忘れられません。

天敵がいるから生態系は守られる

 北海道大学北方生物圏フィールド科学センターの揚妻直樹准教授が2018年に公表した論文によると、明治の開拓当初,北海道にはオオカミが生息し,多くのシカを食べていました。シカの生息数は現在とほぼ同じ70万頭と言われていましたが、天敵オオカミの存在に加え、地球温暖化が進行する以前の厳しい気候のため,シカの死亡率は今より高かったと見ています。

 この結果、森林など自然に与える被害は抑えられ、北海道全体の生態系が維持される機能も保持されていました。明治と現在で同じ生息数がいるにもかかわらず、シカの食害の広がりがこんなに異なる理由として「天敵の存在」を見落とすわけにはいきません。

 「天敵」。よく使われる言葉ですが、「あいつは天敵だよな」と冗談半分に使うことはあっても身近な問題として真剣に使う言葉とは受け止めていませんでした。

 しかし、「オオカミ」は”天敵”の重要性が生物が存続する環境を守るうえで欠かせないことを教えてくれました。人類は直面する地球温暖化も然りです。産業革命以降、大量に排出するCO2によって気候変動が激しさを増しています。気温上昇の原因はまだ諸説ありますが、経済活動で生み出されるCO2など温暖化ガスが主因の一つであることは間違いありません。

 人類の目の前に突然、現れた地球温暖化問題。北海道のシカの目の前に絶滅していたオオカミが突然、立っていたことを想像してください。天敵が消え、安楽の世の中と思っていたのに予期もしない”天敵”が登場するのです。シカも人類同様、あわてるでしょう。地球を維持するために欠かせない生態系が一部でも破壊されると、回り回って目の前に天敵が現れて初めて危機を知る。残念です。

温暖化、人口減も”天敵”

 加速する人口減も日本社会にとって実は”天敵”でした。明治以降、富国強兵のもとで人口は増え続け、昭和の敗戦を乗り越えて人口増による高度経済成長を続けてきました。「団塊の世代」が日本の奇跡を支えた象徴です。それが一転、人口減へ。

 政府はかねてから指摘されているにもかかわらず、天敵は存在しないかのように放置し、日本の屋台骨を揺るがす事態になってようやく重い腰を上げます。人口減に揺れる日本社会は天敵オオカミを目にしたシカと同じ心境です。

 天敵がいるからこそ、自らの強さと弱さを知る。なんでもできると驕らず、共に生きる社会を守るためには人間も含めて何をやれば良いのかを考えることの大事さ。こんな当たり前のことをオオカミは諭しています。

◾️写真は北海道旭川市の旭山動物園で生活するオオカミ

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