
JR双葉駅の時計は今も2時46分で止まったまま 駅前にイオン、住宅街が整備
JR常磐線の双葉駅を3年ぶりに訪れました。3年前は2022年8月30日に全町避難が解除され、2ヶ月過ぎた頃でした。その1年前、つまり4年前の2022年に訪れた時は建設中だった町役場が完成しており、JR双葉駅駅前の整備も進んでいました。10月の秋行楽シーズンを迎えていましたが、その日は台風並みの強風で常磐線は運休や大幅遅れが発生したこともあって、駅の無人改札口で呆然としたのを覚えています。
3年前は2時46分のまま
鮮明に目に焼き付いたのは駅舎に掲げられた時計でした。東日本大震災が発生した午後2時46分を指したまま。新しい双葉町の町役場は出来上がり、町の機能は動き始めたばかりです。時計の針も再び動き始める。そう思って見上げたら、針の位置は変わっていませんでした。

双葉駅前のイオン
双葉町は福島第1原発事故による全町避難解除が浜通り地区で最後まで続いていました。すでに解除されていた浪江町は道の駅やホテルが建設され、町民が戻り始めていました。でも、双葉町を車で回っても、住宅や事業所は11年前から閉鎖されたまま残っています。建物は朽ち果て、住宅は多くの木々などで緑に包まれ、荒れ放題。人の気配は見当たりません。2時46分に止まったままの駅舎の時計は11年過ぎても変わらない双葉町の時の流れをしっかりと伝えていたのでしょう。
3年ぶりに訪れた双葉駅はだいぶ様変わりしていました。目の前には常磐線を乗り越える高架橋が完成し、踏切は廃止に。浪江町ですでに営業しているイオンも双葉町駅前に開店していました。常磐線の向こう側には町民が暮らしを再開する新たな住宅街も建設されていました。時は着実に進んでいます。
ちょっとドキドキしてながら双葉駅舎の時計を眺めたら、針は2時46分を指したまま。寸分も動いていませんでした。
議論はあったけど、そのままに
駅舎そばでお会いした人にお聞きました。「時計を動かそうという話は出なかったのですか?」。「いろいろ議論があったようですが、時計を動かそうという結論にはなりませんでした」と話すしますが、そこでおしまい。町民のみなさんは全町避難した後、避難先での生活など外部の人間からは想像できないご苦労を経験しています。東日本大震災が発生した午後2時46分、それをきっかけに襲いかかった津波、そして原発事故。時計の針が伝える3月11日の2時46分は、計り知れない重みを指し示しています。
時計とともにもう一つ確認したいことがありました。「希望のとびら」です。駅舎と併設された建物があり、そこでは双葉町の紹介や町民の声などを紹介する展示されていました。3年前、駅舎に併設された建物1階に入ると、すぐ目の前にピンク色のドアが立っていました。掲示された説明書には「双葉駅では、解除の瞬間(午前0時)に希望のとびらを開き、双葉町の新たなスタートを祝いました」とあり、「希望のとびら」と名付けられていました。

希望のとびら
3年の歳月が過ぎ、「希望のとびら」はもう役割を終えたのか、それとも今も希望に向けてドアを開き続けているのか。ありました。3年前と違ってフロアの奥に立っていました。フロアに居た方にお聞きしたら、ドラえもんに登場する「どこでもドア」を真似ていると勘違いされる恐れがあったので、撤去する意見もあったそうですが、「希望のとびら」はまだ双葉町に必要との意見でまとまり、設置が継続することになりました。ただ、ちょっと遠慮してフロアの奥へ引越ししたそうです。
時計が動き出すためにも「希望のとびら」は開き続けて
なぜかホッとしました。全国各地で「どこでもドア」の発想を真似た「出入り口の扉」が増えていますが、双葉町はまだまだ希望を持ってドアを開く機会が続きます。常磐線を挟んだ向こう側には避難した町民が住む戸建て住宅が多く建設され、新たな住宅地を形成しています。不在の住宅があるので、多くの賑わいを生み出すのはこれからです。
2時46分の時計が動き出すためにも、「希望のとびら」は開き続けなければいけません。木製の扉を開ける力は少しで済みますが、ドアの向こうに沈澱した3月11日午後2時46分から止まった時空を押し除けるためにはどのくらいの努力が必要なのでしょうか。はっきりしているのは、決して双葉町の町民の力だけで押し開くことはできないことです。

駅そばの新しい住宅