なぜ人口減は止められないのか リー・クアンユーから合格点をもらえない日本
「日本が活力を失った理由がわかりますか?大学に進学する女性が増えたからですよ」
日本の活力低下は大卒の女性が増えたから?
こう語ったのは、リー・クアンユー氏。シンガポールを世界でもトップクラスの国に造り上げた元首相です。1990年代、オーストラリアのシドニーで開催した昼食会で特別ゲストとして講演した時でした。会場で発言を聴いた女性の多くはびっくりしてあちこちで声が聞こえてきます。「あのリー・クアンユーがこんな失礼なことを発言するなんて・・・」と顔を見合わせます。頭脳明晰で優れた政治家です。自身の発言でどう反応するのかはわかっていました。軽くニヤリと笑い、「日本の教訓をどう学ぶかが大事なんですよ」と続けました。
女性が大学に進学することに反対しているわけではありません。これまで家族、社会を支えてきた女性が大学を卒業し、企業で活躍すると、出産、母親、子育てなど社会の基盤となっていた役割を誰が負うのか。誰かが代わりにならなければ、国、社会の構造は歪んでしまう。国は変わる社会構造に合わせて政策を立案しなければいけないが、より重要なのは女性の活躍を受け入れる社会が旧来の常識を捨て去り、柔軟に実践することを忘れてはいけないと説くのがその狙いだったようです。
オーストラリアは女性の社会進出が早く、1990年代は世界でもいち早くLGBTなど性別に縛られない雇用や評価が議論されていました。日本とは比べようもないほどガラガラと社会は変容していました。ただ、オーストラリアの人口は当時、1800万人と少なく、移民政策とは別に人口を増やす出生率の向上も課題になっていたのです。家族を支える母親の代わりを誰が演じるのか。社会の基盤が崩れてしまったら、オーストラリアはどうなるのか。リー・クアンユー元首相はアジアの視点から問題提起したのです。
オーストラリアが学ぶべき教材に
オーストラリアが学ぶべき教材となった当時の日本はどうか。日本は世界第2位の経済大国にまで発展したものの、社会は相変わらず男性中心。女性の大学進学率は高まるものの、社会的な地位は旧態依然のまま。人口は1億2000万人を超えていましたが、婚姻率や出生率は低下し続けていました。当然ながら、高齢化比率は世界最速のスピードで上昇し、日本の近未来社会に暗雲となってその存在感は大きくなるばかりでした。
リー・クアンユー元首相が指摘した通り、その後の日本は活力を失い、人口減に歯止めがかかりません。15〜49歳の女性の年齢別出生率を合計した「合計特殊出生率」は下がり続け、2023年は過去最低の22年の1・26を下回るのは確実です。第1次ベビーブームは4・3、第2次ベビーブーム以降でも2・1台でしたから、長期的に低下し続けたことが分かります。世界各国でみても、2020年の出生率は対象212のうち194位。岸田首相が再び子育て政策を掲げて取り組む姿勢は評価したいのですが、あまりにも政府の対応が遅すぎました。
手厚い施策だけでなく社会の変容も
リー・クアンユー元首相が日本に暗示したのは、社会構造の変化を受け入れる余裕があるのか。言い換えれば、手厚い施策だけでは解消できず、女性が出産の有無を問わず活躍し続けられる社会の変容を忘れていけないと諭していたと考えています。
出生率の低下を止め、再び上昇させた先進事例が欧州にあります。フランスとスウェーデンは1990年代に1・5〜1・6台まで落ち込みましたが、2000年代には2・0まで戻しました。手厚い支援策が功を奏したのです。ただ、再び低下しており、2020年はフランスは1・82、スウェーデンは1・66まで低下しています。一筋縄で解決できないテーマだとわかります。
仏は事実婚が過半
2000年代にフランスが上昇に転じた理由を取材した時、事実婚の存在が大きいと言われました。正式に結婚せず、パートナーの子供を出産する事実婚です。いわゆる婚外婚は過半を占めたそうです。結婚という枠に囚われない考えは日本でも広がっていますが、婚外婚の出産が50%程度を占める社会はとても想像できません。
ここまで劇的な変容をすぐに目指す必要はないと思いますが、依然男性中心の構造で維持されている日本の社会の常識が変わらなければいけないのは事実です。日本の女性の社会的地位は世界の中でも最下位グループにあると何度も指摘されています。30年前にリー・クアンユー元首相が提示した「日本社会の変容」はまだ合格点をもらえそうもありません。