浪江町の通り

浪江町に戻った輝き、日本の「地方」も照らせるか (その1)

人が暮らしている生活感のある明かりがあちこちから

浪江駅前の明るさは歩き始めると、次第に消えていきます。でも、窓から明かりが漏れる家があちこちにあります。町役場に向かいながら、右に左にウロウロしながら歩き回ってもどこかに窓やテラスから白く輝く電灯の明かりを見つけることができます。しかも、明かりは生活するために灯されている光です。誰も住んでいなくても治安のためにランプが光る外灯とは違います。町に住民が戻って来たと実感できます。

以前なら真っ暗だったはずです。7年前に初めて訪れた時、駅前周辺の地域でも家やビルは2011年3月から時間が止まったままなのかと思うぐらい普通の街並みが目の前にありました。誰も歩いていません、住んでいません。何も知らないで家の前に立っていたら、持ち主が「ただいま」と帰って来そうな雰囲気がまだ残っています。でも、人の気配が感じられません。歩いた跡もありません。車も走っていません。いつもなら右へ左へと空気の塊が動いているはずなので、空気の塊が動いていないのです。

当時は町役場や警察など公共機関を中心に街の機能が戻り始めていた時でした。国道6号線のそばまで行くと、空気が動いています。大型トラックなどが走り抜け、人の息を思い出します。国道6号線沿いの町役場のそばにコンビニエンスストアが開き、ガソリンスタンドが営業しています。浪江町で人の行き来きを一番感じる場所でした。

町役場の横には生活に必要なお店や食堂が集まり、街の賑わいをなんとか取り戻そうと努めていました。町民避難の状況から徐々に人が戻り、役場を拠点に町の機能を取り戻そうとしているのがわかりました。私は6号線沿いのコンビニの駐車場に車を止め、一旦休み、おなかが空いてきたらコンビニでおにぎりを買うか、食堂に入ってB級グルメで有名になった極太麺の「浪江焼きそば」を食べていました。その後は帰還困難区域の目の前まで行き、立て看板の前に立つ監視員の姿を見て非常に厳しい現実を改めて確認しました。「この先はいつになったら、進めるのだろうか」。町民ではない人間の思いです。

町役場や道の駅が躍動しています

今回は全く風景が違いました。町役場はちょうど工事中であちこちに塵除けのカーテンがぶら下がっていましたが、午後5時を過ぎても職員の皆さんは忙しそうに働いており、商工や農水関連の課では町民と職員が相談している様子も見られます。町の経済が動いているのが肌でわかります。

道の駅「なみえ」

町役場を出て、北の向かい側の街区は光の塊のように輝いていました。新しい道の駅「なみえ」です。道の駅は2020年8月に供用開始しているのですが、2021年3月をグランドオープンと書いていますから施設全てが完成した意味だと思います。道の駅に入ると、販売スペースは浪江町にとどまらず福島県の物産が全て揃えたぞという意気込みを感じますし、さらに無印良品が出店していたのには驚きました。同社のホームページによると、「無印良品は、『感じ良いくらしと社会』の実現を目指し、各自治体や地元住民が主役となって、それに巻き込まれる形で地域を活性化していくさまざまな取り組みをすすめています。2020年11月に浪江町と締結した連携協定の一環として、東日本大震災および東京電力福島第一原子力発電所の事故の影響を大きく受けた浪江町の復興のシンボルとしてオープンした道の駅なみえに出店します」と説明しています。
地元の酒蔵である鈴木酒造店の施設も併設されています。NHKのドキュメンタリーで放送されていた鈴木酒造店の施設は、そう他の酒蔵で目にすることはないぐらい整備された日本酒の酒蔵見学のコースを設定していました。とても輝いていました。鈴木酒造店は震災で酒造施設が被害に遭い山形県に移って酒造りしていましたが、浪江の地酒「磐城壽」などの製造を継続しています。日本好きの私としては深く頭を下げるしかありません。もちろんその夜、居酒屋で飲みました。いわきの名産である大堀相馬焼の制作工程も見学できます。

鈴木酒造店の酒作りと大堀相馬焼の工房を見学できます。

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