浪江町 新しい挑戦が地域を起爆する 変わることと変わらないこと
「10月13日、Renewal Open」と書かれた張り紙を見て、なんとなくホッとしました。
1年ぶりに福島県浪江町を訪れたので、さっそくJR浪江駅近くの飲食店街に向かいました。前回は「できることは浪江町でお酒を飲むぐらい」と思い、宿泊施設から1時間近くの道のりを散歩しながらたどり着きました。街灯や家の窓から漏れる明かりに癒されながら居酒屋を探し歩き、二軒はしごして再びほろ酔いで帰った思い出があります。
今回は自分のクルマで到着したので、お酒はがまん。でも、飲食店街が一年前とどう変わったのかを見たいと思い、ちょっと派手目な看板を目当て着くと、道路に面したお店が工事中。内装はこれからの雰囲気ですから、新装開店までもうちょっと時間がかかりそう。
飲食店街のほかにも躍動感が
昼間ですが、暗いアーケード内に入ったら、先ほどの掲示板。過去の経緯は全然知りませんが、「リューニアル・オープン」で響きは嫌いじゃないです。隣の店舗で店名を変える告知なども張り出していましたが、飲食店街は新陳代謝も含めて活気が命です。お酒飲みにとって浪江町に蘇ったのは、一年前と大きな変化です。
さすがに飲食店街だけの見学で終わるわけにはいかないので、隣のビルを眺めたら、「浜通り地域デザインセンターなみえ」の看板が目に入ります。一年前にはありませんでした。一階事務所の玄関に貼られたポスターを眺めていたら、事務所内のスタッフが外まで出てくれて、「なにか聞きたいことがあったら、質問して下さい」と話しかけていただき、最近の出来事を教えてもらいました。
日産が東大と共に地域の未来作りに
このビルのポースターや隣のビルには日産自動車のオフィスが構えています。JR浪江駅前に始めていたクルマによる無料送迎サービスも日産でした。なにか日産が関係しているのかと推察したら、当たりでした。
日産は2021年2月にJR浪江駅前に事務所を構え、日産が注力する電気自動車を使って将来の公共交通サービスを想定したモビリティサービスなど多くの実証実験を続けています。一年前に目撃しましたが、無料で道の駅や町役場を往復する「スマートモビリティ」がその一例です。
デザインセンターでは、活動のひとつとして東京大学が中心となり、先生と学生が福島県の浜通り地域の将来を練り上げ、地域のみなさんと議論しています。
一年前に偶然、JR浪江駅でお会いした浪江町出身の方のフェイスブックを久しぶりに拝見しました。東大の学生のみなさんのプロジェクトについて触れており、その発表会に参加した感想が書かれていました。SNSで公表しているので、そのまま転載します。
9/16 双葉町の伝承館で行われた「東京大学伝承館・体験活動プログラム共同研究フォーラム2022「帰宅困難区域(大熊町・双葉町・浪江町)の「街づくり」を考える」に参加した。最近、浪江で東大の学生や院生と出会うことが多い。今回発表した2つのグループの学生さん達も、7,8月に来て調査・ヒアリングなどをして9月上旬でリポートっまとめというタイトなスケジュールでも相当的確に課題を把握した素晴らしい報告だった。3つの被災町をレーダーチャートなどで比較したものは、それぞれの町の特性が見えてとても参考になった。ただ、2グループに一様に感じたことは、効率性・合理性にウェイトを置きすぎた感は否めず、彼らが提示する町を住民は果たして求めているのかという懸念も一方で出てきたので、質疑の時に意見を述べた。「不便益」のような新しい価値観が、被災町だからこそ提起できるのではないだろうかと。短期間でこれまで周到な街づくりプランを提示できる力能はさすがだったが、この先に行くためには住民との信頼関係の醸成が必須で、そのためには住民との接触が短期間だったと思う。でも今回のリポートをベースとした、これからの活動に期待したい。これまでの大学の被災地への入り方の反省も込めて、”学”の継続支援のカタチを作ってもらいたい。フォーラム終了後、学生さんたちと話し合えたことは救いだった。
東日本大震災以降、「復興」という言葉の重みを何度も噛みしめ、どう表現して、どう使って良いのかを考える場面が多くあります。浪江町、双葉町、大熊町は福島第一原発事故の影響で想像を超える苦境に追い込まれ、多くの町民が想像を超える苦しみを経験しています。事故から10年以上が過ぎ、それぞれの町に人と経済が戻り始めています。
国のプロジェクトとして水素をキーワードに大規模な工業団地も建設されています。この水素プロジェクトがどう福島県浜通りに関わるかのか。これから一年後、新たな風景がどう加わるのか。これからも何度も訪れます。