経済学がおもしろい

「新しい資本主義」大賛成 でも中間層/中流って誰のこと

自民党が総選挙の政策提案で「新しい資本主義」を掲げました。大賛成です。多くの人を交えて、たくさん議論しましょう。

10月14日、衆議院が解散され10月31日に総選挙の投開票があります。各党からコロナ対策など広範な政策構想が発表されています。拙稿では就任したばかりの岸田首相が掲げる「新しい資本主義」をキーワードに日本に求められる経済政策について考えてみます。あらかじめ明記するのは読者に失礼かと思いますが、選挙公約は実現するためにあるものではないことは百も承知の上です。万が一日本が窮地に追い込まれた際、「あの時にしっかりと議論しておけばこんな目に合わなかったのに」と悔しい思いをしたくないので、遠吠えすることにしました。

重ねて「新しい資本主義に向けての議論」に期待しています。具体的にどう考えているかを知りたいと思い、自民党の公式ホームページを開き、「令和3年政策パンフレット」「令和3年政策バンク」を読んでみました。大きなタイトルとして「成長と分配の好循環による新しい資本主義の実現のため、成長分野への投資や、中小企業の生産性向上の支援や取引の 適正化など賃上げを可能とする環境整備を図ります」とあります。以下、数多くの項目で「これをやるぞ」と具体的に書いており、きっとジグソパズルのピースのように全てを思い描けば「新しい資本主義」の1枚の絵に仕上がるのでしょうが、これまた相当の想像力が必要です。そういえば岸田さんが総裁選の時に唱えた「日本型資本主義」という字句は消えていました。

「成長と分配の好循環」ーー資本主義の「新しい」に相当すると推察すると、文脈から見ればゴールは「分厚い中間層を再構築する」ですね。1990年代のバブル経済破綻後、日本経済はほぼゼロ成長から脱することができず、一人あたりの実所得も低迷。あの手この手と繰り出した経済政策はアベノミクスも含めて、結果として富裕層と低所得層の格差を拡大してしまったという反省に立っていると理解できます。”薄くなった中間層”を再び厚く戻そうというわけです。立憲民主党の政権構想を見ても、タイトルは「1億総中流」を掲げています。自民、立憲ともに貧富の格差を解消して日本国民が平均的な所得金額に収れんする経済政策に舵を切ろうとしているわけです。

ちょっと待って下さい。この30年間、あの手この手と政策を繰り出して、この結果です。低迷した理由は解明されているのですか。例えば日銀の大規模金融緩和。物価2%上昇の実現を掲げて、いつ開始したかを忘れるほど長年継続していますが、その効果は?金融と財政の専門家の集団である日銀が何も考えないで金融緩和しているわけはないです。日銀すら手の施しようもない状態である日本経済の病状を治癒に持っていくためには、相当な覚悟で抜本的な解明への努力が必要です。患者、言い換えれば国民の不安を取り除くしためにとりあえず元気になるビタミン剤として「みんなで中間層・中流になろう」を言っておこうでは困ります。

「中間層」「中流」はどんな層を指しているのかも不明です。高度成長を果たした1970年代に多くの国民が自らを中流階級と自認した昭和の日本に戻ろうというわけではないですよね。立憲民主党の枝野幸男代表は10月13日、衆院選公約として「1億総中流社会」の復活を掲げました。分配をわかりやすく強調する狙いも込めて新型コロナウイルス禍の緊急支援として個人年収1000万円以下を目安に所得税を1年間実質的に免除し、低所得層には年額12万円を現金給付すると提案しています。「適正な分配をすれば1億総中流社会復活は難しいことではない」と語ったそうですが、中流社会のコアは年収1000万円を想定しているのでしょうか。国税庁によると平均給与は436万円。男女別では男性540万円、女性296万円。ここから1000万円に近づける。岸田首相が自民党総裁選の際に唱えた所得倍増計画を彷彿させます。「難しくない」の理由を聞きたいです。

政府は10月15日、「新しい資本主義実現会議」のメンバーを発表しました。危惧した通り、やはり昭和の1億総中流社会、いえいえ自民党政権ですから「1億総中間層社会」が目標だと確信しました。メンバーは以下の通りです。

翁百合・日本総合研究所理事長▽川邊健太郎Zホールディングス社長▽櫻田謙悟 経済同友会代表幹事▽澤田拓子・塩野義製薬副社長▽渋澤健シブサワ・アンド・カンパニー代表取締役諏訪貴子・ダイヤ精機社長▽十倉雅和・日本経済団体連合会会長▽冨山和彦・経営共創基盤グループ会長▽平野未来・シナモン代表取締役▽松尾豊・東大大学院工学系研究科教授▽三村明夫・日本商工会議所会頭▽村上由美子MPower Partnersゼネラル・パートナー▽米良はるか・READYFOR代表取締役柳川範之・東大大学院経済学研究科教授▽芳野友子・日本労働組合総連合会長

まず日本総研、経済同友会、経団連、日商、経営共創、連合は過去の日本経済の担い、再建に努力してきた組織です。いずれも高い見識の持ち主ばかりですが、出身母体の企業、組織を否定するような言動ができますか?渋澤健さんは独自の哲学を持ってファンドを経営していますが、まさかNHK大河ドラマの渋澤栄一の勢いで選ばれたわけではないですよね。中堅中小企業、成長企業の代表として選ばれた経営者の皆さん、人工知能(AI)や財政の先生は素晴らしい実績を挙げていますが、日本経済の背骨となる資本主義を議論する会議でどこまでリードできるのでしょうか。以上の皆さんは「過去の日本経済の良い点、悪い点をしっかり点検して、未来の成長を考える会議」なら納得できるメンバーですが、資本主義とがっぷり四つに対峙するには線が細すぎる印象で、人選そのものが従来の◯◯会議の延長選上にあり、視点が「新しくない」。不思議なのは経済理論の専門家が誰もいないです。存命なら宇沢弘文さんは選ばれたのでしょうか。せめて2021年の新書大賞に輝いた「人新世の『資本論』」の著者、斎藤幸平さんに声をかける勇気が欲しかった。このままなら、いつも通り霞ヶ関の官僚が描いた「新しい資本主義」が世に現れるだけです。もちろん経済学の論文として合格点を取れるかどうかは不明ですが。

もっとも、官僚の皆さんが「新しい」ことに挑戦できる状況ではないようです。矢野康治財務事務次官が「文芸春秋」で与野党の政策論争を「バラマキ合戦」と指摘したことについて、高市早苗自民党政調会長から「小ばかにしたような話だ。次官室から見える景色と私たち(国会議員)が歩いて聞いてくる声とは全然違う」と批判されています。矢野さんの記事を読みましたが、もう10年以上も前から言われている話です。政府の歳出と税収の格差拡大を示す「ワニの口」はこの私でさえ10年ほど前に北海道大学経済学部で講義したことがあるぐらいで、英語では「waniguchi effect」と表現されているほどです。この論文で批判を受けるようでは、会議を陰で運営する事務局は新しい資本主義の絵図面を描けないでしょう。

2019年のノーベル経済学賞を受賞したアビジット・V・バナジー とエスター・デュフロの両氏は共著「絶望を希望に変える経済学」で「新しい資本主義」を考える上で参考になることを記述しています。

「いまはもう経済学者は成長にとりつかれるのをやめるべきではないだろうか。少なくとも富裕国で答を探すべき問いはどうすればもっと成長し、もっと富裕になるかということではなくて、どうすれば平均的な市民の生活の質を向上できるか、ということではないだろうか。そのほうがずっと有益である」

「経済学者が何世代にもわたって努力してきたにもかかわらず、経済成長を促すメカニズムが何なのかということはまだわかっていない。それでもできることがある。富裕国でも貧困国でも現在の甚だしいリソースの無駄使いを断ち切ることは十分に可能だ」

「二つの結論を引き出すことができる。一つ目は取り付かれたように成長をめざすのはやめるべきだということである。成長優先の姿勢が経済に残した傷跡は大きい。成長の収穫を一握りのエリートが刈り取ってしまうとすれば成長はむしろ社会の災厄を招くだけだ。成長の恩恵がいずれ貧困層に回ってくるといった政策はどれも疑った方がよい。二つ目はこの不平等な世界で人々が単に生き延びるだけでなく尊厳を持って生きていけるような政策を今すぐ設計しない限り、社会に対する市民の信頼は永久に失われてしまう。効果的な社会政策を設計し、必要な予算を確保することこそ現在の喫緊の課題である」

日本を待ち構えている未来は、決して楽観できません。経済成長に大きな影響を与える人口減からの脱却は見えず、イノベーションによるトリクルダウンをてこにした経済・所得の浮上といった楽観論はすでに否定されています。ゼロ成長を行ったり来たりするでしょう。目先をみても円安ドル高が進み、1ドル=130円の再来が見えてきました。非正規雇用は雇用全体の4割近くとなっています。年金、福祉などで大きなハンデキャップを負う非正規雇用者がこのまま30年後を迎えると、年金などを受給できない悲惨な老後が待っています。目の前に見える日本の現実であり、近未来です。

新自由主義を軸にした資本主義に対する警告はもう80年近くも前に発せられていす。1944年、経済学者のカール・ポラニーは著書「大転換」で新自由主義を拠所にする市場経済は崩壊し、社会構造の大きな転換を招く引き金になると解析しました。市場経済の行き過ぎは貧困や環境破壊など人間社会に大きな打撃を加え、市場を重視する原理主義的経済を転換させる動きを加速させると考えました。オーストリア、ハンガリー、イギリス、米国などを渡り歩き、第二次世界大戦に巻き込まれる世界を俯瞰したポラニーはファシズムの台頭も目撃しており、選択を誤れば国そのものが危機に陥る可能性を指摘し、市場経済をどう制御するかの重要性を説いています。

経済学は物理学と違って科学ではありません。アインシュタインは質量とエネルギーの関係をE=mc2(二乗)という方程式で表しました。経済学は条件設定によって数式化した理論はありますが、科学理論には値しない社会科学と呼ばれています。経済学が予見する近未来は私たちが積極的に関与することで変えることができるものです。とりわけ今は「新しい資本主義」を考える過程を通して子供たちの未来を描き、創造できるチャンスを手にしているのですから。

 

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