賃金はなぜ上がらないのか ③ 非正規社員の増加 円の実力低下とシンクロ

円の実力が50年ぶりの低い水準にまで落ち込みました。国際決済銀行(BIS)が2022年2月17日に発表した1月の実質実効為替レートが67・55。2010年を100と設定していますから、この12年間で3割以上も減価したわけです。しかも、50年前の1972年6月に記録した67・49に迫る低い水準です。実質実効レートとはドルやユーロなどの特定の通貨と比べる為替レートと違い、60か国ほどと為替や物価などを総合的に比較、算出したもので、通貨の実力を示す指標です。賃金がなぜ上がらない理由①として「日本の未来が見えないから」と指摘しました。円の実力の低下はまさに日本の未来への不安を表現しているのですが、グラフの時系列の推移が非正規社員の増加とシンクロして変化していることに気づきました。

円の実力低下は日本の未来と重なる

なぜ日本の未来が見えないと重なるのか?円の実力が低下する背景には日本企業が海外で稼いだマネーが日本へ還流せずに、そのまま海外の投資資金として活用されているからです。日本経済を熟知する日本の企業が投資しない。日本の未来を考えると投資しても高い収益を望めない。むしろ海外で有効に使った方が市場の成長性や将来の利回りなどを支えに投資効率を高めることができると読んでいるわけです。この結果、日本の円は海外の通貨に対し安くなってしまいます。円の実力が低下すれば、海外での買い物が割高になるため、輸入品の購買力は落ちます。一方、輸入品の日本国内価格は上昇するでしょう。経済にとってマイナスのスパイラルが始まる恐れがあります。

円の実質実効レートは、95年に1ドル70円台を記録した時が最も高く、150台にまで上昇しました。当時と現在を比べれば半分以下の水準になったわけです。ちなみに70円台に乗った時、私は日本市場よりも早く為替取引が始まるオーストラリアのキャンベラにおり、この第一報のニュースを送りました。パソコンから送信した場所が国会議事堂の広場だったのですが、70円台乗せを祝うかのように広場の噴水が始まり、びしょ濡れになった思い出があります。どうしようもない話でした。

50年前の1972年は固定相場で1ドル300円台です。今からは想像できない水準です。しかし、昨年から円安は加速しており、2022年1月には116円台と5年ぶりの安値となっています。米FRBの利上げが近いと言われているわけですから、円安の流れに勢いがつくかもしれません。通貨の実力が円よりも低下としているのは、トルコのリラとブラジルのレアルぐらいです。日本経済がフラフラしている姿が目に浮かびますか。

グラフを反転すると、重なります

その円の実力低下を示すグラフを見ていたら、雇用の変化と連動しているのではないかと気づきました。非正規社員の増加です。非正規社員が雇用全体で占める比率は1990年初めで2割ほどでしたが、その後は右肩上がりに増え続けて現在は4割に達しています。これに対して円の実力は1995年ごろをピークに右肩下がりに低下し、現在はほぼ5割減となっています。どちらかのグラフを反転させれば、変化の推移を示すグラフは重なってしまいそうです。

非正規社員の採用は本来、優秀な能力を持つ人材を確保する狙いが込められていたはずです。欧米ではフリーランスとして会社を渡り歩きながら、自身の実力を発揮して年収を増やすのが通例です。ところが、日本の場合、人件費を抑えるパート、派遣社員として定着してしまいました。給与を正社員と比べれば3割ほど低いそうです。任せられる業務もこれまた本来なら正社員と非正規では仕事の内容、実行責任などで違いがなければいけないのですが、さほど業務内容については差がない場合が多いのが現状です。ここ数年、政府が「同一業務・同一賃金」を声高に叫ぶ理由はここにあります。非正規社員が同じ業務をこなしている正社員と比べて給与が低いと労働基準局に駆け込むケースが増えているのは、不思議ではありません。

経営側からみると、非正規社員はお得で使い勝手のある人材です。正社員の人件費は福利厚生などを含めれば給与の1・7倍程度に膨らみます。業務内容の水準がさほど低下しないのなら、福利厚生や退職金などの負担が軽い非正規社員に肩代わりさせる方が人件費の圧縮効果が大きいと判断するのは当たり前です。経営が苦しくなった時、正社員の雇用削減は難しいですが、パートなど非正規は相対的に早めに対応できます。

しかも、企業内労働組合は正社員の権利保護に熱心でも、非正規には一定の距離を置いてきました。労組の組合員の減少もあって、パートなど非正規を組合員に取り込む流れは広がっていますが、そこから賃金の上昇圧力を高めるまでにはまだ時間がかかりそうです。

非正規社員の比率が上昇し続けると、日本の未来はさらに見通せなくなる?

正社員と非正規社員の比率が適切かどうかを議論する考えはありません。非正規社員の採用は企業が必要としている技術や能力を補強するのが本来の目的であって、賃金を抑制するためだけに採用するのは誤っているからです。日本の経営者が非正規社員の能力を最大限に活用して企業経営の浮揚につなげる発想に転換しなければ、現在の日本の雇用慣行は継続し、非正規社員は賃金全体の押し上げる力にはなりえません。賃金の上方硬直性が指摘されているだけに、天井を突破するのは容易ではありません。

もしこのまま円の実力低下が止まらなければ、非正規社員の比率は上昇し続けるのでしょうか。日本の未来はさらに見通せなくなっているかもしれませんね。

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