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大宅壮一と福沢諭吉から感じるジャーナリズムの視線 文明論之概略 編  時勢は誰が支えるのか

なんとか読者に理解してほしいと努力する姿勢に驚かされる

福沢諭吉さんの著作を読んでいると、その博学に驚かされるのと同時に読者になんとか理解して欲しいと一生懸命に努力する姿が目に浮かび、頭が下がります。書籍以外でも時事新報などに掲載した記事・文を読んでも、自分が読者に伝えたい趣旨をどう表現すれば良いのか考えられるだけの事例を次々と紹介します。「もう満腹です、降参します」と読者がお手上げするまで、これでもかこれでもかとわかりやすい比喩をいくつも目の前に突き出してきます。「これでわからなかったら、次はこの例ならどうか、わかりましたか?」といった具合です。書き手の模範として敬服するのはもちろんですが、「世に書を送り出すなら自分の考えが伝わなければ、この書・記事の価値はない」と腹を括っている執念を感じ「私の記事を読んでもらったからには絶対に私が伝えたいことを理解してもらう」との狂気すらのぞかせます。

慶應義塾を創立して時事新報を創業。明治政府に多くの教え子を送り込み、澁澤栄一ら日本の産業を興した人脈にも通じる人物です。多くの人が「偉い人」と見上げていたはずです。小泉信三さんの福沢諭吉評を読むと、たいへん気性の激しく、自らの信条を貫き通す性格だったようです。今で言えば「空気を読まない」ので、他人から見ればそこまで指摘しなくてもという点にまで注意書きを記したそうです。本人が自覚していたかどうかはともかく、自分は分かっているのだという上から目線にあぐらをかかず、新鮮な目線で対象物に切り込み、読者にわかりやすく伝える姿勢を忘れないぞ!というジャーナリストとしての気概を感じます。

福沢諭吉著「文明論之概略」「学問のすゝめ」の2冊をもとに大宅壮一さんの「炎は流れる」シリーズと対比しながらジャーナリズムの視線を考える無謀な企画に挑んでみました。相対するにふさわしいのかどうかの疑問は今も消えません。ただ、大宅壮一さんの視線が福沢諭吉の視線もしっかりと捉えて、幕末・明治期の日本人の精神構造を解析しているのがわかりました。大宅さんが意識していたかどうか確信はないのですが、福沢諭吉の視線と大宅さんの視線は最後には同じ焦点に合っています。それが右からなのか左なのか、それとも上からなのか下のなのか、二人の視点は自由に変転しながら気持ち良いくらいに狙った標的をスパッと切り取ります。でも、最後は日本人の可能性を信じる一点に収れんします。

福沢諭吉の視線 「時勢」

福沢諭吉さんのジャーナリストとしての視線を一言で表せば、「時勢」への貢献にあると考えます。

長くなりますが、「文明論之概略 巻之二」の「第四章一國人民の知徳を論ず」で「時勢」とは何かを説明しています。文明の名にふさわしい人物がいたとしても、その人物が住む国が文明国かどうかはわからない。国の文明は2、3人の人物で論じるのではなく国全体に行き渡る気風によって判断するものだと論じます。ここから古今東西の歴史人物、論文などをふんだんに引用しながらも、天下の形勢に左右されないよう「スタティックス」(統計学)という手法を使って利害得失を冷静に見極める重要性を説きます。

ようやく「時勢」が登場します。孔子や孟子、楠木正成ら歴史上の傑物、英雄がどんなに頑張っても、時代を動かす力は「時勢」であり、これは「当時の人の気風」「その時代の人民が持つ智徳」から出来上がるものだと結論付けます。蒸気船を例にわかりやすく説明しています。500馬力の蒸気機関を積んだ1000トンの船はどんなに優秀な航海者でも備え付けの能力以上に航海することはできない。政治に転じてみても、どんな英雄豪傑、政治家でも国民の心を自由に変えることはできない。商人を見てごらん、厳冬に氷を売っても誰が買うのか。時勢が持つ勢いとはそれほど変えられないものだ、とダメ押します。

この主張に従えば、時勢に逆らえないなら、多くの人に心に従えば物事はうまく進むはず。政府も学問も無用の長物だと受け止めても良さそうです。当然、福沢諭吉さんはわかっています。「文明は人間の約束なれば、之を達すること固より人間の目的なり」と改めて文明を支える個人の役割を明示し、政府、学者、商人などそれぞれの役割を精進して国に貢献するのだと言います。政府の役人は状況を見てしっかりと判断しろ、学者は現在と未来を見据えて、今後どう対応するのか考えるのだと励まします。ちなみに学者に対しては自分の本分を忘れて世間に奔走し、政府に言いなりになっている者もいると警鐘を鳴らします。現在でも通じる警鐘です。政府と学者には互いに助け合い、文明の進歩にほんのわずかでも支障になるようなものを取り払いなさいと言います。現代でいうメディアの役割については言及していませんが、福沢さんは問われれば「政府と学者同様、文明の進歩を支える時勢の形成に貢献しなさい」とアドバイスするに違いないでしょう。

民主主義国家の基礎になる情報を提示しなくては、と自らを鼓舞しているかのよう

文明論之概略は西洋、東洋問わず人間の智徳が文明を決めるとことをていねいに、かつ豊富な事例を使って説明しています。この著作が世に出たのは明治8年(1875年)ですから、江戸から明治へ大きく時代が移り、翻弄される人々に対する啓蒙書と見ることはできます。しかし、私には日本国の将来を決める時勢を文明国の方向へ進めるためにはどのような素材を提供すれば良いのか、日本国民一人ひとりが判断でき土壌をどう気づき上げていくのか、など民主主義国家として最も重要な基礎を提示し、ジャーナリストの一人として福沢諭吉自らを鼓舞しているかのようにも受け止められます。

というのも、時勢はその国の智徳の結果と考えているからです。文明論之概略の第五章前論の続で「一國文明の有様は其國民一般の智徳を見て知る可し」と言い切ります。国民の考えを集約する衆論には二つあって、一つ目は人の数によらず智力の分量によって決まるもの、もう二つ目は人々に智力があっても衆論としてまとまらないものがあると説明します。まずは国民の智徳、あるいは智力を磨き上げる努力、そしてその土壌を醸成する情報量、互いに率直に議論し合う雰囲気を築き上げなければいけません。だからこそメディア、ジャーナリストの役割がここで明確になり、重要になるのです。

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云えり」で始まる「学問のすゝめ」を読んでも、封建制度から解かれた日本国民に対し平等な社会を説くとともに、個人の努力いかんで自分の未来を変える、創り上げることができるのだと主張し続けています。学問は学業を指しているだけでなく、政治、経済、社会など目の前に広がる世界を理解し挑むことを勧めているのです。そこには福沢諭吉の楽観論ともいえる人間の力に対する可能性を垣間見ることができます。ここで繰り返しです。だからこそ多くの情報を国民に伝えるメディアの役割が大きく映ってきます。

福沢諭吉さんは日本人の根底に共通するものを見据えながら、時勢を生み出す力を供給し続けたいと考え、著作や新聞記事などを通じて論陣を張ったのでしょう。大宅壮一さんは数多くの「日本の歴史」をていねいに絞り出して目から鱗のような日本人の実相を炙り出しました。福沢諭吉さんは日本人の実相を前提に未来の日本を創造するために必要な素材を提供することに尽力したように思えます。二人の筆鋒は日本人の可能性への期待で接します。

世界で民主主義の根本を揺り動かしているポピュリズムについて、福澤諭吉さんはどう考えていたのでしょうか。時勢の形成が知恵や徳などよりも人気取りの発言や行動に左右され始めています。SNSによる情報ネットワークがマスメディアより力を持ち始め、その国の智徳がどう描かれていることすら実態を追うことが難しくなってきています。

100年過ぎても変わらない価値を

しかし、マスメディアの役割は変わりません。真実と思える情報を伝え、受け手は真実かどうかを吟味します。吟味するに値するかどうかの情報を伝える信頼を負うのがメディアです。福沢諭吉さんが時勢を唱えて100年以上が過ぎました。大事なものは変わりません。大宅壮一さんの視線、福沢諭吉さんの視線、いずれも私たちジャーナリストが忘れてはいけない視線として毎日、描き続けることで答えていきます。

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