「デジャブ(既視感)」、思わず、この言葉が浮かびました。パリ五輪の開幕寸前の7月17日、パリ市のアンヌ・イダルゴ市長が五輪の一部競技が行われるセーヌ川で泳ぎ、水質改善をアピールしました。現場でパリ市長が水泳するシーンを目撃したわけではありませんが、このニュースを聞いた時、現場の空気や振る舞いを目の前で見た既視感を覚え、そして胡散臭さも蘇りました。
29年前のムルロア環礁が蘇る
というのも、同じ水泳シーンを29年前の1995年に目の当たりにしたからです。場所はパリから何万キロも離れたフランス領ポリネシアのムルロア環礁。仏軍の幹部が核実験する環礁の水質汚染を否定するため、世界から集まった多くのジャーナリストの前で泳いだのです。
その年の6月にフランスのシラク大統領は核実験の再開を発表。再開に反対する抗議運動が世界各地で起こり、仏領ポリネシアのタヒチ島では空港や街が放火される騒乱に発展しました。仏政府は、核実験場の安全性と環境汚染対策が万全であることをアピールするため、世界から新聞やテレビのジャーナリストを集め、ムルロア、ファンガタウファ両環礁を公開したのです。
パリの水泳はどうだったのか。新聞などの報道によると、65歳の市長と大会組織委員会のトニー・エスタンゲ会長らがセーヌ川に入り、クロールで100メートルほど泳いだそうです。セーヌ川では7月26日に開会式が行われるほか、トライアスロンとオープンウォータースイミングが実施される予定です。
パリ市中心部を流れる川です。水質は悪く、遊泳は禁止されていましたが、仏政府などが総額14億ユーロを使って水質改善に取り組んできました。1ユーロ=170円で換算すれば、2380億円。これだけの大金を投じて水質汚染の解消に努めたのですから、イダルゴ市長が多くの市民、カメラの前で泳ぎ、アピールするのもわかります。
水泳で安全が保証されるわけではない
しかし、人間が泳げるから、安全が保証されるわけではありません。
時計の針を29年前に戻します。仏は1966年から仏政府はムルロア環礁の地下深く核実験を繰り返してきました。仏軍の幹部は、環礁の岸辺で育った椰子の木から採った実をナイフでカットし、溜まったココナツミルクを美味しそうに飲み干しました。「とてもおいしいよ。誰か飲まない?」と多くの記者らに呼びかけましたが、誰一人手を上げません。
ちょっと残念そうな表情を見せ、「それじゃ環礁の海を泳いでみるよ。放射能に汚染されていない安全な水質であることがわかるでしょう」と言います。「誰か一緒に泳ぐ?」と呼びかけますが、こちらも誰一人反応しません。彼は作り笑いを見せながら、服を脱ぎ、丸い湖のようなムルロア環礁の海に飛び込みます。クロールでしばらく泳ぎますが、目撃する記者らの空気は冷え切ったまま。
セーヌ川の汚染と核実験を同列に並べるつもりはありません。パリ市長と仏軍を一緒にするつもりもありません。ただ、誰が泳いでも、水質の安全性は証明されません。水俣病を思い出してください。長い年月を経て汚染は深刻化し、人間の健康を侵していきます。
一瞬の水泳で安全性が証明できる。こんな浅はかな行動で多くの市民や世界の人々は納得するわけがありません。むしろ、29年前のムルロア環礁で泳いだ仏軍の幹部と同じ発想を今もパリ市長が持っていたことが悲しい。仏政府や政治家はこの29年間、こんな子供騙しで世論を変えられると考え続けてきたことがもっと残念。
東京都知事はお台場で泳がず
東京五輪でも水質汚染問題はありました。2021年8月、お台場海浜公園でトライアスロンとオープンウオーターの2競技が行われましたが、大腸菌や水質の濁りなどが問題視されました。水質改善の諸策が実施され、競技開催時は水中スクリーンなどで水質基準をクリアしました。参加した選手は水中では前が全然見えなかったそうです。
そういえば、東京五輪で小池都知事は泳ぎませんでした。体を張ったパリ市長の意気込みを評価すべきなのでしょうか。