ポカラ 村上春樹の「世界の終わり」の脱出口、滝に着く ナマステ⑤
これが滝なのか。滝という表現にはふさわしくない激流の消え方です。滝つぼは見えません。激流が地球に吸い込まれているのです。昔、外国人が誤ってなのかどうかわかりませんが、滝に飲み込まれたという話が残っていました。もし飲み込まれても、そこから先は地上とは別の世界です。「ああ、これがそうだったのか」。
村上春樹さんが「世界の終わり」で描いていた脱出口とは・・・・、ポカラにあったんだあ。主人公の影は飛び込んけど、主人公は結局、地上に残る決断を下します。「俺も、滝に飛び込むのは止めるなあ」と納得しました。
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村上春樹さんの小説は後半以降、前半に撒き散らされた多くのピースを材料に謎解きが始まります。このテンポの早さが魅力の一つだと思います。「世界の終わり」でも主人公が自身の終わりを博士から説明された後、日常生活する東京に戻り、最後の時間を図書館の女性と過ごします。
壁に囲まれた街に閉じ込まれたもう一人の主人公も同じように図書館の女性と自分自身の人生を確認する作業に移っていきます。この両主人公と図書館司書の女性との会話が好きです。
的外れかもしれませんが、村上春樹さんが経験してきた人生を映し出す自然な会話が模写されているようで好きです。一見強烈に、あるいは猥褻?と感じる字句が臨場感を持って伝わってきます。
音楽、映画、好きな俳優、いずれも著者に身近な存在に
最近、図書館を頻繁に利用しています。以前は読みたい本は買う主義でした。しかし、もう一度経済を勉強したいと考え、マルクスはじめ世に有名な経済学者の本を買おうと考えても、書籍一冊そのものが高価ですし、古本屋さんでも手に入りにくい書籍がほとんど。
ところが私が住んでいる市立図書館で調べると、「あるんです」。貸し出し期限はあるので買っても読まないで本棚に積んどくだけを防止する効果もあって、この1年間の読書量は大学時代に迫っています。主人公が愛する女性が図書館の司書を務めている意味をようやく理解できました。自らと他人の知恵と意識の世界を結ぶ仲介役を果たしているのでしょう。
音楽もふんだんに引用されます。村上春樹さんと年代が近いこともあって、同時並行に多くのジャンルを問わず聴いていたようです。ビートルズはじめジャズ、ロック、ブルースとなんでも登場しますが、中でも主人公が愛する女性がブランデンブル協奏曲について「カール・リヒター」が良いと話しているのには笑っちゃいました。
私が大好きな演奏家です。20歳代にハマっていました。彼の録音はステレオではなくモノクロもあります。主人公はオーディオについてステレオでなくても音楽には魅了されると話す場面があります。よくわかります。
「世界の終わり」は30歳代に読みました。当時も今も村上春樹さんの小説では一番おもしろいと考えています。でも、60歳代に入って改めて読むと、小説に埋め込まれているいくつものサインに初めて気づくことが何回もありました。素晴らしい小説家です。
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激流が地中に飲み込まれる衝撃的な滝を見て、「世界の終わり」の結末を思い出しました。地中に吸い込まれるように飛び込むのは、ちょっとできないなあ。飛び込んだ後が想像できません。なんでも飲み込んでしまう真っ暗闇の世界を思い描きますが、目の前が真っ暗になるだけです。
そんな重荷を背負ってポカラ のゲストハウスに帰ることにしました。それから二十分も立たない間に腕の皮に硬貨大の水泡が現れます。そうこうするうちに頭がどんどん痛くなり、フラフラし始めます。途中、大木の下で身動きできなくなりした。通り掛かった女性がオレンジを渡し、額に当てろと身振りで教えてくれました。
おでこにオレンジを当てていると、しばらくするともう一人の女性が寄ってきて、タオルを水に浸して「お前の頭に乗せろ」と身振りで助けてくれました。
「お前はヒマラヤへ行ってきたのか」
ようやく熱中症に罹ったのだとわかりました。頭がボッとしてさっきまで歩き続けていたのが嘘のように歩けなくなり、大木の陰で座り込んでいました。大木の陰で1時間近く休み、途中も日陰で休みながら、なんとか午後七時過ぎには宿泊先のゲストハウスに戻り、ベッドに寝込みました。
それからほぼ半日以上ベッドの上で身動きできず、翌日のお昼、なんとか起き上がり近くのお店に行って果物を買って体力回復しました。日焼けした皮はむけるかと思ったら、むけないのです。
腕の皮の中に水溜りが2つか3つできたと思ったら、次はしわくちゃになり、その後はまるで台所の洗浄などに使う薄くて白いゴム手袋のように筒状になってそのままの状態に。
2日間過ぎてやっと皮が抜ける時も筒状のままスポッと抜け殻のように皮がむけました。初めての経験でした。驚くよりも、恐ろしくなりました。人間の皮って筒状になって抜けるほど丈夫なんだということを知ったからです。
日本への帰り、タイのバンコクに立ち寄ります。バンコクの中央駅そばにあるチャイナタウンのホテルへチェックインしようとスタッフカウンターの前に立ちました。タイ人のスタッフは開口一番、「お前、ヒマラヤへ行ってきたのか」。確かに、顔は軽い火傷したかのように額や鼻はもちろん、耳まで皮が至る所がむけて、赤く痛んでいます。
「いやいや、人間として一皮剥けたんだ」というのが精一杯でした。