タヒチの道路をブロック

南太平洋 2 楽園タヒチと核実験 困窮と雇用のジレンマ

 仏政府は世界にアピールを狙う反対・抗議活動を封じ込めるため、ひとつ一つ抑え込みます。島内の各地で発生する反対・抗議活動を取材している記者やカメラクルーが知らぬ間に仏軍に取り囲まれ、すぐに解散しないとジャーナリストも含めて全員拘束する可能性を伝えられたこともありました。

抗議デモで破壊された商店街

抗議デモで破壊された商店街

しかし、日頃の不満を爆発させたい多くの島民が参加する反対・抗議活動は拡大を続け、道路封鎖などに発展。トラックに乗って駆けつけた島民が荷台で食事を作り、配る風景があちこちで見られました。

 空港近辺ではデモを繰り広げる島民と警察が衝突した結果、空港建物に火が放たれ空港が一時閉鎖に追い込まれました。周辺の駐車場にあった車にも火が放たれ、パスポートや財布などを失って呆然とした観光客や海外ジャーナリストが続出したほど。

 衝突が繰り返されても事態が収まらないため、警察と軍は催涙弾を水平に放つ危険な行為に移り、ついにはプラスチック弾も打ち始めました。鎮圧後の夜はパペーテの繁華街が破壊され、楽園のイメージ通りにきれいにお化粧された中心街は一夜にして消えてしまいました。

放火され延焼した商店街

放火され延焼した商店街

 

 「私たちから見たら、レストランやブランドショップが壊されたって同情はしない」。地元のジャーナリストはキッパリと話します。「タヒチの現実を見たいなら、一緒について来い」と言われ、中心街から車で一時間ほど走る集落に到着しました。現地の島民が住む地域です。

 家々は簡単な建屋ばかりです。迎えてくれたのは仏軍の核実験施設で働いていたという男性でした。招き入れてくれた家の中は大きく二つの部屋に分かれていました。台所がありますが、他にはテーブル以外に家具は見当たりません。室内はさほど衛生状態が良いとはいえないです。ベットが幾つかありましたが、10人ほどの家族が使うには足りません。「空いているスペースで寝るんだよ」と苦笑していました。

 男性は失業中でした。理由は病気による退職です。タヒチから遠く離れたムルロア環礁の核実験場施設で働いていたのですが、体調がおかしくなり結局は退職せざるを得なくなったそうです。「診断してもらったが原因は不明」と説明しながら着ていたシャツのボタンを外して開いて見せてくれた腹部には大きな手術跡が残っていました。

 「核実験施設で働いた時に放射性物質の影響を受けたのかもしれないと思うが、確かな証拠はないし、医者は核実験施設の作業が原因となったと診断してくれない」と言います。「この症状は自分だけじゃない。この地域には何人も同じような症状を経験し、原因がわからない病気になっている」と続けました。

 先ほども触れましたが、仏領ポリネシアの最大都市であるパペーテでさえ観光を除けば雇用機会は仏政府関連がほとんどを占めます。核実験施設の雇用に不安を抱く人が多いそうですが、家族を養うためにも相対的に高給が見込める核実験施設で勤務を希望する人が絶えないそうです。腹部の傷を見せてくれた男性も周囲の住民が軍関連の施設で働いているので、強く抗議できないそうです。

 まるで「deja-vu」。タヒチを訪れた時には想像すらできなかった、日本の原子力発電所の立地地域と同じ風景が目の前に広がります。原発銀座と呼ばれた福井県をはじめ福島県など全国の原発立地を取材した経験があります。

 農水産業以外に雇用創出する産業が見当たらないため、地元の若者は電力会社の関連会社で働き、原発の定期検査など大きな工事がある場合は全国から人が集まります。賃金が良いので、飲み食いにもお金が舞います。外国の女性も含めて夜の飲食街にも人が集まります。

同行した現地のジャーナリストは言い放ちました。「これがタヒチの現実さ。ホテルで飲むワインがまずくなるだろう」。

「うん、そうだね。悪酔いしそうだよ」。いや、いや、ホテルの部屋に早く戻って原稿を書こう。

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