ポカラを歩いていたら、村上春樹の「世界の終わり」の脱出口を見つけてしまった。ナマステ
ポカラ行きのバスを見つけました。運転手に確認した後、乗客の何人にも確認しました。確かにポカラに行くようです。きっと大丈夫です。まだ確信していません。
でも、10人ぐらいの乗客がポカラに向かうと話しているのですから、一緒にいても妙な場所にはいかないという確信はしました。車内の席は自由です。荷物はバッグ一つですから、胸に抱えたまま座ります。大きな荷物を持っている乗客はバスの屋根に乗せたりしています。「おう、テレビや映画で見たシーンだ」と感動しました。
スタートしてから1時間も経って屋根に荷物を載せないで良かったとホッとしたのでした。理由は先ほど説明した通り。乗車したバスのサスペンションもやはり酷く、目的地に着くまでの8時間は車体が破壊しないかどうかの試験走行に付き合っているようでした。胃腸がずっと揺れ続け、体内にしっかりと繋がっていることが実感できたのは良かった。
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トリックスターが原稿を書く時も
村上春樹さんの小説やエッセイはかなり読みました。でも、すべてではありません。ジャズなど音楽の話題には共鳴しますし、つぶやきのような語り口調のエッセイは大好きです。
作品ひとつ一つに惚れることはあっても、村上春樹本人のすべてに惚れ込むのは好きじゃないのです。自分も文章を創る仕事に従事していましたが、書いている人間と新聞を介して世に送り出す記事のレベルは同一ではありません。記事は記事で評価を得て独り歩きできたとしても、それは記者が優れている証しではありません。取材した対象が良質の記事を生み出す素材ときっかけを備えていたからです。
むしろ、素晴らしい記事と記者の人格がかけ離れ、別人格のもう一人が書いた記事と思うことが自分自身でもあります。その時はユングが潜在意識にあるという自分のトリックスターが書いていたのかもしれません。「あれ?俺ってこんな原稿を書けるんだあ」。自分自身に驚く瞬間です。