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国交省は仮の名 上場企業への人事介入で改めてわかった「運輸省はいつまでも運輸省」 

 「人事のシーズンが近づくと、机の上の電話がジャンジャン鳴るんだ。相手は誰だって?政治家や霞ヶ関のみなさんからですよ」

人事シーズンには電話がジャンジャン鳴る

 こう苦笑しながら、打ち明けてくれた山地さんを思い出します。山地進さんは日本航空の社長。1951年に運輸省へ入り、海運や鉄道などの局を経て1984年に新設された総務省の初代事務次官に就任。ジャンボ機墜落事故直後の日本航空へ移り、1985年12月に社長に就きました。1987年には政府出資だった日本航空の完全民営化を果たし、世界の航空会社と競争できる民間航空会社へ飛翔する進路に導いた功労者です。私が運輸省担当記者に就いたころ、日本航空は再び巡航速度へ移行し始めていました。

 今でも続いているのかと驚きました。国土交通省出身の元事務次官出身者が民間企業への人事に介入したニュースを聞いたと時です。羽田空港の格納庫などの施設運営を手掛ける空港施設は4月3日、監督官庁である国土交通省OBの山口勝弘副社長が同日付で辞任したと発表しました。「一身上の都合」と説明していますが、引き金は国交省先輩の横槍。国交省の元事務次官で東京メトロの本田勝会長が2022年12月に空港施設の乘田俊明社長らに対して山口氏を社長に昇格させるよう「国交省の意向」として要求したことが朝日新聞で報じられていたからです。

旧運輸省は「箸の上げ下ろし」までチェック

 山口氏は国交省の元東京航空局長。国交省の前身である運輸省は航空・海運会社や空港会社などに対し監督官庁として「箸の上げ下ろしまで報告しろ」と迫る強面で知られていました。笑ったのは関西国際空港がオープンする前に取材した時でした。担当者が「イベントで配る記念品のネクタイの柄まで了解を得ている」と泣いていました。

 運輸省は2001年、建設省、北海道開発庁、国土庁の3省庁とともに統合して国土交通省として再スタートを切りました。統合相手が建設省はじめ運輸省に劣らず強面ですから、少しは運輸省色が薄まるかと思いましたが、運輸省も建設省もいつまでも看板を差し替えただけ。

上場企業も「うちが面倒している」

 今回、社長就任を要求した空港施設についても、旧運輸省の出身者からみれば「うちが面倒を見てきた」という意識の表れ。日本航空や全日本空輸など航空会社の社長の椅子をよこせと言っているわけじゃ無い。空港施設の社長ぐらいおかしなことではない。胸の内が丸見えです。察するに本田、山口両氏はじめ旧運輸省出身のOBは世間が驚いたことに驚いているかもしれません。

 ところが、空港施設は株式上場企業です。昭和、平成のころに比べてESG、言い換えれば経営の健全性、透明性、統治に対し厳しい視線にさらされています。監督官庁の人事介入で社長が決まったとなったら、上場の価値無しと東証からも株主からも批判されるでしょう。そんな時代の変化に気づかない。旧運輸省出身者の変わらない意識が改めてわかりました。

自動車では社長の引責辞任を迫る

 航空関連だけではありません。自動車業界でもその腕力をみせつける場面に出会ったことがあります。大手自動車メーカーの副社長と懇談していた席で、副社長の携帯電話が鳴りました。相手は運輸省担当の社員。副社長は携帯電話を耳にあてながら報告を聞き、「そんなことまで求めてくるのか」と思わず大きな声を上げました。親しい間柄だったので電話の内容を尋ねると、「運輸省の担当者は社長の首を差し出したら、許してやる」と明かしてくれました。

 この自動車メーカーは新車の車両審査で提出するデータに不正があり、世間から大きな批判を浴びていました。データ不正は許されないことですが、いわゆるリコールで改善できる範囲。お粗末な車両試験や姿勢がメーカー自身のブランドと信用を下げ、自ら大きな被害を受けている状態でした。過去をみても、社長の引責辞任にまで発展した事例はありません。

許認可を握る省庁は強い

 しかし、運輸省は自動車メーカーに対する力比べに挑みます。車両関連の許認可を握っているのは誰か。認めなければ、開発中の新車は幻として消えるぞ。意図が見え見えです。

 「これで社長辞任したら、他の自動車メーカーも同じようなリコールが発生したら社長辞任しなくちゃならない。謝罪は必要だけれど、引責辞任は不要」と我が身の立場を忘れて当の副社長に助言してしまいました。結果はもちろん、引責辞任は無し。運輸省担当者の横暴も、内密で終わりました。

霞ヶ関に権益がごろごろ

 あれから20年以上過ぎました。旧運輸省出身者は、まだ運輸省を引きずっているのを知りました。霞ヶ関にはまだまだおいしい権益がたくさんころがっており、いまだに忘れられないのでしょう。

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