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自民党総裁選、衆院選 幕末・明治に比べ「国民の声」は届いているか

自民党総裁選の話はもう書くことがないと考えていたのですが、「多くの国民が政治に声が届かない、政治が信じられないといった切実な声を上げていた。私は、我が国の民主主義の危機にあると強い危機感を感じ、我が身を顧みず、誰よりも早く総裁選に立候補を表明した」という岸田文雄さんのセリフを少しでも信じたいと思った愚かさを恥じております。まさに自民党総裁選を演じる舞台上のセリフでした。「アレはあれ、コレはこれ」なんでしょうね。岸田総裁による自民党役員、新政権の顔ぶれなどを見ると、どうみても「安倍・麻生・甘利の3A」に飲み込まれたと言われても否定できないです。前回は希望も込めて「右に左にゆらゆら、前進せず」と書きましたが、今は国民の声を届ける努力の後退を痛感しています。

久しぶりに2年連続して政権が交代したせいか、改めて国民の声をどう政治に伝えるのかを考えてしまいした。毎年、襲ってくる台風や大雨は予想以上に勢力を増して甚大な被害を引き起こしています。世界の動きに合わせて「カーボンニュートラル 」と合唱していれば良い時代は終わっています。脱炭素社会、所得の格差拡大など目の前に立ちはだかる喫緊の課題に向かい合わなければいけないのはみんな知っています。しかし、政治の現状は国民の実生活に対して遠心力が働いているかのように離れていきます。

2021年は10月31日に衆院選が待っています。民主主義国家の日本ですから私たちの意見を伝える仕組みはできています。しかし、今回の自民党総裁を見て実感したのは、私たちの選択肢が狭まっているのではないか、ということです。選挙時は政策論議を演じますが、選挙後は自民党派閥の論理が前面に出て政策論議はどこかへ吹き飛んでしまう。公約はその場しのぎの膏薬に過ぎないのです。野党がもっと力があれば政権交代とまでは行かなくても、与野党の拮抗を通じて国民の議論も広がり、岸田さんが総裁選までは心配していた「民主主義の危機」を乗り越えることができるはずです。

今回の自民党総裁選の過程と結果を見ると、国民の声を伝える仕組みが劣化しているとを痛感しました。総裁当選者は事実上、日本の総理大臣に就任します。投票権を持つ自民党の党員・党友と衆参議員を合わせて110万人超です。政党選挙ですから、個人が参加する党員選挙の規模や仕組みに異論はありませんが、日本の人口は1億2600万人弱ですから投票権を持つ人はわずか0.9%の人間です。第1回目の党員投票では河野太郎さんが44%、岸田文雄さんが29%をそれぞれ獲得。第2回目の決選投票では党員票の80%が河野太郎さんに投じられました。決選投票は議員票が優位になるように設計されていますし、議員は国政選挙を経て選良と呼ばれる人たちですから、党員票が軽んじられたという考えはありません。ただ、今回の総裁選挙後の出来事を追いかけていると、派閥という既存の権益を失いたくない勢力、各地域の門閥・閨閥の影響力がより強く出ていることがわかります。もっとも、総裁候補4人のうち岸田、河野、野田の3氏は父親らが政治家ですし、3Aと呼ばれる安倍・麻生・甘利の3氏は門閥・閨閥の代表選手です。政界はすでに2世、3世がかなりの比率を占めており、いまさら驚くことではありませんが、日本の政治世界が身内の論理でこれまで以上に動き始めているのは否定できません。私たちが投票した選良たちがいざ決定し行動する時、私たちの思いを覚えて決断していると信じられるのでしょうか。

大宅壮一さんと並行して読み返している福沢諭吉さんの「文明論之概略 二之巻」の一節を思い出してしまいました。「第五章前論の続」は「一國文明の有様は其國民一般の智徳を見て知る可し」で始まり、国民の考えを集約する衆論には二つあって、一つ目は人の数によらず智力の分量によって決まるもの、もう二つ目は人々に智力があっても衆論としてまとまらないものがある、としています。そしてヨーロッパなど世界で国民の意見がどのように集約されているのか、日本がどのような意見の下で明治維新に至ったかを説明しています。とても興味深いと思ったのは、全国の智力を集めてその衆論を土台に政府を改め、封建制度を廃止したが、「この衆論に関わる人を計ればその数はとても少ない」というのです。福沢さんの換算に従えば、当時の日本の人口は3000万人とすれば農工商の数は2500万人。士族はわずかに200万人。医者や儒者、神官僧侶、浪人などその他を300万と見て士族を加えて華士族という括りで500万人。全体の8割以上を占める農工商、明治期の平民は政治に関わることがほとんどなかったので、衆論を形成するのは華士族の500万人。このうち大臣、家老やお金持ちなど既得権者は改革で損することはあって得することがないので、改革推進はとても少ないはず。また、改革派のうちでも強く求める者は門閥に頼れない場合が多く、概して改革を好む者は智力があっても金がない者が占めると見ます。華士族500万人のうちわずかに1割占めるかどうか。また女性や子供を除けばさらに減るはず。改革はこの少ない比率の人間から始まり、一般的には世にも不思議な説を広めて支持者を増やし。日本の衆論、言い換えれば国民の声としてまとめ、鬼神のような幕府を上回るエネルギーで天下をひっくり返したのだと唱えています。

現代は大学の進学率などからみても教育のレベルは高いですし、選挙を通じて民主主義とは何かを体感しています。福沢諭吉さんが幕末・明治の時、とりあえず国民の声を代表しないとみられていた2500万人の農工商の子孫たちが世界の政治・経済、未来に関して培った見識は100年前よりは豊かになっています。国民の声を代表できるぐらいのしっかりした考えは備えているはず。

しかし、日本のリーダーを決定する現実を考えると、幕末・明治の時よりも「自らの声」を伝える努力が必要になっているのかもしれません。岸田政権は3A主導の政権だからと諦めるわけにはいきません。人口3000万人だった幕末・明治時に比べて現在の人口は4倍に増えています。それが幕末・明治とさほど変わらない人数で日本の政治が決まっているとしたら、日本の民主主義は明らかに後退しています。文明と民主主義の重要性を説いた福沢諭吉さんはがっかりするでしょうね。スパイーダーマンのような超人的な力の助けがなければ民主主義を守れない、なんて困ります。幕末・明治の時を習えば、鬼神の働きが令和になって必要になってきました。

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